ニコルソンはニューヨーク市に生まれ、父はアメリカ海兵隊のオーガスタス・A・ニコルソン少佐、母は大陸会議議員レナード・リスパナードの娘ヘレンで、名門家系に属した。1839年6月21日に海軍のミッドシップマンとして任官し、以後50年以上にわたり海軍に奉職した。1851年にコロンビア特別区でハンナ・マリア・ジョーンズと結婚し、6名の子をもうけ、家族の中には騎兵少佐ウィリアム・ニコルソンや海軍軍人レジナルド・F・ニコルソンなど軍務に就く者も多く、ワシントンの名家ココラン家とも姻戚関係を結んだ。
1850年代半ば、ニコルソンはペリー提督の日本遠征艦隊に加わり、旗艦の航海長として浦賀来航に参加した。いわゆる「黒船来航」の中心メンバーの一人であり、条約調印にも立ち会った。条約文書が江戸での火災により焼失した後、1860年にワシントンD.C.で再署名が行われた際にも同席したと伝わり、日米外交の現場を両国側で経験した稀有な将校であった。
万延元年の遣米使節がワシントン海軍工廠を訪れた際に写真に写っているNicholsonはこのニコルソンと考えられ、当時の階級は海軍大尉(Lieutenant)であったとされる。日本側にとっては「黒船来航の当事者」との象徴的再会であった。
南北戦争期にはUSS Marbleheadの艦長として従軍し、デヴィッド・ファラガットのニューオーリンズ攻略に参加した。その後も沿岸封鎖任務に従事し、1862年7月には少佐に昇進、蒸気船 State of Georgiaの艦長も務めた。1881年に准将として退役し、のちにワシントンD.C.で隠居生活を送った。1905年5月1日に自宅で死去し、オーク・ヒル墓地に埋葬された[2]。