ウィリアム・アダムスが日本への航海で利用したリーフデ号は、江戸湾に係留されていたが、その後沈没した。そこで、アダムスは船大工としての経験を買われて、徳川家康から西洋式の帆船を建造することを要請される。
永らく造船の現場から遠ざかっていたアダムスは、当初は固辞したものの受け入れざるを得なくなり、伊東に日本で初めての造船ドックを設けて80tの帆船を建造した。これが1604年(慶長9年)に完成すると、気をよくした家康は大型船の建造をアダムスに指示し、1607年(慶長12年)に120tの船舶(ガレオン船)であるサン・ブエナ・ベントゥーラが完成した。
1610年8月1日、サン・ブエナ・ベントゥーラは浦賀を発ちアカプルコへ向かった[2]。10月27日にアカプルコ近くのマタンチェンに到着したが、この時23人の日本人が同乗しており、その中には田中勝介が含まれていた[3][4][2][5]。
到着後は、マニラとアカプルコを結ぶ航路に投入された[5]。