Wikiwand AI

シエン・カラス

From Wikipedia, the free encyclopedia

リングネーム シエン・カラス
ミル・カラス
サンソン
本名 カルメロ・レジェス・ゴンサレス
ニックネーム 百の顔を持つ男
身長 183cm - 188cm
シエン・カラス
プロフィール
リングネーム シエン・カラス
ミル・カラス
サンソン
本名 カルメロ・レジェス・ゴンサレス
ニックネーム 百の顔を持つ男
身長 183cm - 188cm
体重 102kg - 104kg
誕生日 (1949-10-18) 1949年10月18日(75歳)
出身地 メキシコの旗 メキシコ
ハリスコ州ラゴス・デ・モレノ
トレーナー ディアブロ・ベラスコ
パンテーラ・ネグラ
デビュー 1974年
テンプレートを表示

シエン・カラス(Cien Caras、本名:Carmelo Reyes González、1949年10月18日 - )は、メキシコの元プロレスラー。ハリスコ州ラゴス・デ・モレノ出身。

弟のマスカラ・アニョ・ドスミル、ウニベルソ・ドスミルもプロレスラー。シエン・カラス・ジュニア、エル・イホ・デル・シエン・カラスとは血縁関係はない。

ディアブロ・ベラスコ、パンテーラ・ネグラのコーチのもと、1974年にアメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルスにて、サンソン(Sansón)のリングネームでデビュー。その後ミル・マスカラスを模したミル・カラス(Mil Caras)なるマスクマンを経て、「百の顔」を意味するシエン・カラス(Cien Caras)に改名。

1976年10月、新日本プロレスに来日。イワン・コロフ、パット・パターソン、ラリー・ヘニング、ウィレム・ルスカらと共に『闘魂シリーズ第2弾』に参戦した[1]。メキシコのレスラーとしては大型であることから、坂口征二やストロング小林とのシングルマッチも行われた[2]。

アメリカでの活動も続け、1977年1月21日にビクター・リベラとのコンビでロディ・パイパー&ザ・ハングマンを破り、ロサンゼルス地区のNWAアメリカス・タッグ王座を獲得[3]。フリッツ・フォン・エリックの主宰するテキサス州ダラス地区にも遠征し、同年にホセ・ロザリオと組んでレス・ソントン&トニー・チャールズの英国人コンビからNWAテキサス・タッグ王座を奪取している[4]。本国メキシコでもNWA系のEMLLを主戦場に、1980年7月26日にプエブラでトニー・ベネットを下してナショナル・ヘビー級王座を獲得した[5]。

長らくリンピオであったが、1984年よりルードに転向。1987年6月24日、メヒコ州ネサワルコヨトルでMS1を破りNWA世界ライトヘビー級王座を獲得[6]。1990年9月21日、アレナ・メヒコでのコントラ・マッチでラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアに破れ素顔になる。

1990年代に入るとCMLLにてコナン・エル・バルバロと抗争を展開し、1991年8月18日にモンテレイでコナンからCMLL世界ヘビー級王座を奪取[7]。同年8月1日には、弟のマスカラ・アニョ・ドスミル、ウニベルソ・ドスミルと組んでオクタゴン、アトランティス、マスカラ・サグラダ組を破りナショナル・トリオ王座を獲得した[8]。

1992年5月にアントニオ・ペーニャのAAAの旗揚げに参加。ここでもコナン・エル・バルバロと抗争を繰り広げる。1996年3月8日、ネサワルコヨトルにてヘビー・メタルとラテン・ラバーをパートナーにAAAアメリカス・トリオス王座決定トーナメントに出場、ロス・ビジャノス(ビジャノ3号、ビジャノ4号、ビジャノ5号)と決勝を争うも敗退した。

1997年に再びCMLLに復帰し、マスカラ・アニョ・ドスミル&ウニベルソ・ドスミルとの兄弟トリオ "Los Hermanos Dinamita(The Dynamite Brothers)" で活動。2005年2月、マスカラ・アニョ・ドスミルと組んでペロ・アグアヨ&ペロ・アグアヨ・ジュニアとカベジェラ・コントラ・カベジェラで対戦するも敗退、これが引退試合とされていたものの、その後もCMLLやインディ団体への出場を続けた。

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks