シエ=ル=ギヨーム
From Wikipedia, the free encyclopedia
| Sillé-le-Guillaume | |
|---|---|
![]() | |
| 行政 | |
| 国 |
|
| 地域圏 (Région) |
ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
| 県 (département) |
サルト県 |
| 郡 (arrondissement) | マメール郡 |
| 小郡 (canton) | シエ=ル=ギヨーム小郡 |
| INSEEコード | 72334 |
| 郵便番号 | 72140 |
| 市長(任期) |
ジェラール・ギャルパン (2014年-2020年) |
| 自治体間連合 (fr) | fr:communauté de communes de la Champagne Conlinoise et du Pays de Sillé |
| 人口動態 | |
| 人口 |
2318人 (2015年) |
| 人口密度 | 180人/km2 |
| 住民の呼称 | Silléens |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯48度11分00秒 西経0度07分45秒 / 北緯48.183333度 西経0.129167度座標: 北緯48度11分00秒 西経0度07分45秒 / 北緯48.183333度 西経0.129167度 |
| 標高 |
最低:115m 最高:260m |
| 面積 | 12.90km2 |
| 公式サイト | www.sille-le-guillaume.fr |
シエ=ル=ギヨーム (Sillé-le-Guillaume)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、サルト県のコミューン。
歴史
ギヨーム1世・ド・シエは、戦略的要所における最初の要塞の建設者であり、封建貴族家門シエ家の開祖である。シエ家はブルトン人やノルマン人からの襲撃に対抗する、メーヌ伯に仕えていた。森の中、湖の端にある第二の要塞の遺構、カロリング朝時代のオッピドゥムが静かにたち、全ての謎を守っている。さらに、伝説によれば、『満月の夜、オッピドゥムの周りを歩いて3度"私はここにいるぞ"と言うと、湖が沸き立ち、悪魔が姿を現す。』という。

ジャンヌ・ダルクの友でシエ家のいとこにあたるジル・ド・レは、この地方にいるイングランド人と戦うようになった[3]。シエの地には広大で強力な男爵領が置かれ、この時代に城はコレ―ジュ設置のため町の地位に昇格し、婚姻によってフランス革命まで続いた。
19世紀終わりのシエ=ル=ギヨームは、農業の交差点であり、見本市が頻繁に開催されていた。周囲の人口は6000人から7000人だった。現在もまだマルシェ=ベスティオー広場が残っている。
1917年、シエ=ル=ギヨームにポーランド軍編成のためポーランド人キャンプが設置された。現在目に見える痕跡はない。
1919年4月17日、フランス軍用列車とアメリカ軍用列車が衝突した、シエ=ル=ギヨーム鉄道事故が発生した。全体でフランス側死者6人、アメリカ側死者15人で、大勢の負傷者が出た[4]。
ナチス・ドイツのフランス侵攻末期の1940年6月19日、ドイツ兵が第208植民地砲兵連隊に所属する14人の黒人捕虜たちを殺害した[5]。
