シカゴ・ソウル
From Wikipedia, the free encyclopedia
主要レーベル
主に1960年代・1970年代に活発に活動したレーベルを記載。
ヴィージェイ (Vee-Jay)


1952年シカゴで設立された。後にインディアナ州ゲイリーへ移転している[1]1958年、シカゴでの最初のソウル・ヒットと目されるジェリー・バトラー&インプレッションズ『For Your Precious Love』を録音。A&R担当のカルビン・カーターが多くの歌手を育てあげ、バトラー『He Will Break Your Heart』、ベティ・エヴェレット『The Shoop Shoop Song (It's in His Kiss)』、Dee Clark『レインドロップス』、ジーン・チャンドラー『デューク・オブ・アール』[注 2]などがヒットした。
1962年にビートルズがアメリカで最初に契約したレーベルとしても有名である。1963年7月にビートルズの米国初アルバム『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』を発売。資金繰りがきつくプロモーションもできなかったのでビートルズを手放すことになり、1966年に破産処理した。
マーキュリー (Mercury)
1946年にアーヴィン・グリーン、バール・アダムスらが、シカゴで設立したレーベルである[2]。インディーズとしてスタートした後、プラターズの大ヒットなどで、メジャー・レーベルに成長した。所属した音楽家としては、ジェリー・バトラー(シカゴ出身)、オハイオ・プレイヤーズ、バーケイズ、コンファンクシャン、カメオらがいる。白人ポップ・グループのペイパー・レイスは「ザ・ナイト・シカゴ・ダイド」(1974)のヒットをはなっている。
チェス (Chess Records)

チェス・レコードはかつてブルースを中心に扱っていたが、のちにソウル他のジャンルもリリースするようになった。[3]また、A&Rのロッケル・ビリー・デイビスが以下の音楽家を育成した。
- ザ・デルズ("en:Stay in My Corner")、
- the Radiants ("Voice Your Choice")、
- ジャン・ブラッドレー("Mama Didn’t Lie")、
- フォンテラ・バス("Rescue Me")、
- ビリー・スチュアート(“I Do Love You”)
エタ・ジェイムスはソウル・バラードの「At Last」「Tell Mama」などをリリースした。
オーケー (OKeh)

コロムビア・レコード傘下にあるこのレーベルは、古くはルイ・アームストロングの1920年代の初期音源で知られる。A&Rはカール・デイヴィス。カーティス・メイフィールドが多くの曲を書き、シカゴ・ソウルの象徴となった。メジャー・ランス(『モンキー・タイム』)[4]、ウォルター・ジャクソン ("It’s All Over")、ジェリーの弟ビリー・バトラー ("Right Track")、アーティスティックス ("Get My Hands on Some Lovin'")などがヒット。
ABCパラマウント (ABC-Paramount)
ギター・作曲のカーティスが率いたインプレッションズが所属。後にボビー・ウォーマックらがカバーした"ジプシー・ウーマン"、ボブ・マーリーらがカバーした"ピープル・ゲット・レディ"(People Get Ready)などがヒット。ほかにマーベロウズ ("I Do")らがいた。
ブランズウィック (Brunswick)

若いころのビリー・ホリデーの音源で有名な、ニューヨークが本拠のレーベル。A&RのCarl Davisがシカゴで活躍し、シカゴ・サウンドの大きな部分となった。まずは1966年にジャッキー・ウィルソンが録音を開始し、『ハイヤー・アンド・ハイヤー』といったヒット曲を世に送った。
ほかにシャイ・ライツ(『オー・ガール』『have you seen her』)[5]、アーティスティックス ("I'm Gonna Miss You")、バーバラ・アクリン ("Love Makes A Woman")、タイロン・デイビス ("Turn Back the Hands of Time")、ジーン・チャンドラー ("The Girl Don't Care")がいた。
カートム (Curtom)
カーティス・メイフィールドのレーベル。1968年録音開始。ポスト・ソウル時代にファンク、ディスコ音楽をつくり、黒人映画音楽の主要な制作者となった。メイフィールドはこのレーベルでソロ活動を開始し、映画『スーパーフライ』のサウンドトラック (1972年)が最も売れた。
他にLinda Clifford ("Runaway Love")、the Natural Four ("Can This Be Real"『count on me』)、Staple Singers ("Let's Do It Again")などがヒット。メイフィールドはカートム以前にWindy C (Five Stairsteps, Holly Maxwell, June Conquest)、Mayfield (Fascinations, The Mayfield Singers)を経営しており、Mayfieldには後のスター:ダニー・ハサウェイとリロイ・ハトソンがいた。1980年にメイフィールドはカートムを閉鎖しアトランタへ引っ越した。ほどなくしてブランズウィックも閉鎖。時代はディスコ全盛で、シカゴ・ソウルは次第に終焉していった。
シャイサウンド (Chi-Sound)
これもカール・デイヴィスのレーベルである。[6]シャイ・ライツ、デルズ、ジーン・チャンドラーなどのほか、1976年から1982年までにウィンディ・シティ、エボニー・リズム・ファンク・キャンペーン、マグナム・フォース、シドニー・ジョー・クォールズ、マンチャイルドらがディスコ・ヒットを量産した。
ワン・ダーフル (One-derful)
One-derful, M-Pac, Mar-V-lus, Midasの四つのレーベルの複合体で、激しいゴスペル的スタイルを取った。オーティス・クレイ [注 3]("That’s How It Is"), Harold Burrage("Got to Find A Way")、マッキニー・ミッチェル ("The Town I Live In")、ハロルド・バラージュ ("Shake a Tail Feather")などがいた。アルビン・キャッシュとthe Crawlersの"Twine Time"がダンス・ヒット。
コンステレーション (Constellation Records)
1963年8月にエワート・アブナー、Bill "Bunky" Sheppard、Art Sheridanが設立。アブナーはヴィージェイから飛び出した人物で、プロデューサーのBill "Bunky" Sheppardと、ジーン・チャンドラー、ディー・クラークを引き抜いていた。Art Sheridanは1950年代初頭にチャンス・レコードを経営していて、ヴィージェイに投資していた。ジーン・チャンドラーの"Nothing Can Stop Me"(1968)はイギリスでヒットしている。[7]一方、過去にヒットを出したディー・クラークの"Warm Summer Breezes"などは、シカゴでのローカル・ヒットに終わった。
主なミュージシャン
チャカ・カーンとアース・ウィンド・アンド・ファイア、エモーションズもシカゴ出身だが、シカゴ・ソウルのイメージは、あまりないと見られている。
|
|
|

