シモーネ (歌手)

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出生名 シモーネ・ビッテンコート・デ・オリヴェイラ
生誕 (1949-12-25) 1949年12月25日(76歳)
ジャンル MPB
シモーネ
基本情報
出生名 シモーネ・ビッテンコート・デ・オリヴェイラ
生誕 (1949-12-25) 1949年12月25日(76歳)
出身地 ブラジルの旗 ブラジル
バイーア州サルヴァドール
ジャンル MPB
職業 歌手
担当楽器 ヴォーカル
レーベル オデオン, EMI, ユニバーサル
共同作業者 イヴァン・リンス、シコ・ブアルキ、ミルトン・ナシメント
公式サイト

シモーネ・ビッテンコート・デ・オリヴェイラ(Simone Bittencourt de Oliveira, 1949年12月25日 - )は、ブラジル出身の女性歌手。ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック (MPB) で主に活動している。37枚のアルバムを発表している。[1]

生い立ち

シモーネは1949年12月25日、ブラジルのバイーア州サルヴァドール市で、9人兄弟のうちの第7子として生まれた。父親は無類のオペラ好き、母親はピアノとギターを弾いていた。シモーネが初めて母親のギター伴奏で歌った曲は、Ary Barrosoの「Risque」だった。子どもの頃はスポーツが好きで、水泳、自転車、陸上競技などが得意だった。10歳の頃「背が高いから」という動機でバスケットボールを始める。

16歳の時、家族と共にサンパウロ州サン・カエターノ・ド・スルへ引っ越す。サントスの大学では体育学を修得し、バスケットボールの選手として2年間ナショナル・チームでプレーしていたこともある。

22歳の時、友人の家でのパーティでギターをバックに数曲歌ったのを、居合わせていたオデオンのマーケティング・マネージャーが耳にし、レコーディングのテストを受けるように彼女を誘った。サンパウロのスタジオで録音された音源はリオのアーティスト・ディレクターの元へ送られ賞賛を得て、4年間のレコード契約を結ぶことになった。

活動

1970年代

1973年、最初のアルバム『Simone』を発表。テレビにも初出演し、エリゼッチ・カルドーゾと共に「Barracao」を歌う。 『Expo-Som 73』のレコーディングに参加。ホベルト・ヒベイロやタンバ・トリオなどが参加して行われたショーのヨーロッパ・ツアーにも加わった。74年、アメリカ・ツアー。セカンド・アルバム『Quatro Paredes』を発表。76年にはシコ・ブアルキの「O que sera」を録音し、映画『ドナ・フロールと二人の夫』のテーマ曲になった。彼女の最初のヒット曲は「Jura secreta(Sueli Costa/ Abel Silva) 」や「Face a Face (Sueli Costa/ Cacaso)」である。78年、ミルトン・ナシメントら大物アーティストの曲を歌い上げたアルバム『Cigarra』で歌手としての地位を確立した。

1979年にリリースしたアルバム『Pedaços』は、最初のゴールド・ディスクとなった。

1980年代

アルバム『Pedaços』のコンサートが79年12月末に行われ、そのライブ盤『Simone ao vivo』が1980年にリリースされる。その中でシモーネは「Pra não dizer que não falei das flores(花のことは話さなかったと言わないために)」を歌った。この曲は1968年にGeraldo Vandréが作詞作曲したのだが、反戦歌として当時のブラジル軍独裁政権によって歌うことを禁止されていたのだ。彼女はこの曲を公の場で初めて歌った歌手となった。同年、ヘジ・グローボが、Grandes Nomes(ビッグ・ネームたち)シリーズの第1弾となる番組「Simone Bittencourt de Oliveira」をテアトロ・フェニックスにて収録、放映した。81年、CBSと契約後リリースしたアルバム『Amar』はプラチナ・ディスクに匹敵する売り上げとなった。また82年発売の『Corpo e Alma』は70万枚以上の売上げに達した。83年、シコ・ブアルキとエドゥ・ロボによる企画アルバム『O Grande Circo Místico』に「Meu namorado(私の恋人)」で参加した。

1985年に来日、15カ所でコンサートを行った。8月22日渋谷公会堂、25日苫小牧市民会館、26日筑波万博会場、27日名古屋市民会館、28日大阪厚生年金会館、29日神戸文化大ホール、30日八幡市民会館、31日福岡市民会館、9月3日松山市民会館、4日福山市民会館、6日川崎産業文化会館、7日浦和市文化センター、8日石川厚生年金会館、10日宮城県民会館、11日中野サンプラザホール。この時期、4枚のアルバムが日本盤でも発売された。『個人生活』(Corpo e Alma, 1984年)、『私の欲望〈のぞみ〉』(Desejos, 1985年)、『クリスタル』(Crystal, 1986年)、『愛と情熱』(Amor e Paixão, 1987年)である。1986年、初のポルトガル・ツアーを行い、8都市をまわる。アルバム「Crystal」が当地でもプラチナ・アルバムとなり、ポルトガルのポピュラー界では史上初の快挙となった。

ディスコグラフィー

脚注

外部リンク

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