シャルル (ラ・ロッシュ=シュル=ヨン公)

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在位 1520年 - 1565年
出生 1515年ごろ
配偶者 フィリップ・ド・モンテスペドン
シャルル・ド・ブルボン
Charles de Bourbon
ラ・ロッシュ=シュル=ヨン公
在位 1520年 - 1565年

出生 1515年ごろ
死去 1565年10月10日
配偶者 フィリップ・ド・モンテスペドン
子女 アンリ
ジャンヌ
家名 ブルボン=ヴァンドーム家
父親 ラ・ロシュ=シュル=ヨン公ルイ・ド・ブルボン
母親 モンパンシエ女公ルイーズ・ド・ブルボン
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ラ・ロッシュ=シュル=ヨン公シャルルの紋章

シャルル・ド・ブルボン(Charles de Bourbon, 1515年ごろ - 1565年10月10日)は、フランスの血統親王(プランス・デュ・サン英語版)、ラ・ロッシュ=シュル=ヨン公。アンリ2世の治世においてイタリア戦争に参加し、1554年のスペイン領ネーデルラント遠征では軍隊を指揮した。

1559年にアンリ2世が亡くなると、不安定なギーズ公政権下で引き立てを受けるようになった。ギーズ公は諸侯の支持を確実に得たいと考えていた。シャルルは最初に議会の一員としての地位を与えられ、アンボワーズの陰謀により政権が打撃を受けたため、シャルルはオルレアン公領を中心とする地域の最高統治権を与えられた。シャルルは穏健な宗教政策により統治を行ったため、カトリーヌ・ド・メディシスは、フランソワ2世の早世により幼い息子シャルル9世の摂政に就任した際にシャルルを口説くのに必死であった。

1561年にパリの知事に就任すると、プロテスタントに対する寛容さを再び示し、厳密には法に反するとしても礼拝が行われることを許可した。サン=メダール暴動の際、シャルルの部下は暴力的な対立を始めたとしてカトリック教徒を非難したが、宮廷のカトリック教徒には届かなかった。カトリーヌは1562年1月にシャルルを総督職から追放しフランソワ・ド・モンモランシーを据えた。

オルレアン包囲中にギーズ公フランソワが暗殺者の手にかかり、シャルルにドーフィネ総督の職が与えられたが、1565年10月にシャルルが亡くなるまでこの地方自体の権限はまずローラン・ド・モージロン、次にゴルド男爵を経由して進められ、シャルルの死後は、兄のモンパンシエ公ルイが引き継いだ。

家族

脚注

参考文献

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