シャルル・ソーリア

From Wikipedia, the free encyclopedia

1812年、ナポレオン帝政下フランスジュラ県ポリニーに、軍旅団長である将軍[注釈 1]の息子として生まれる[2][3]

軍隊に入ることを望んでいたが、10歳の時、ポリオにかかり後遺症で杖なしでは歩けなくなってしまったので、科学の道に進み、当時の社会主義的なフーリエ主義の風潮にも感化されて、人々を助けるために医学を学び始める[3]

1827年にリオンへの旅の途中で、眼科の玄関ランプとして使われていた、ゲイ=リュサックの発明した水素ライターを見て感銘を受け、より簡単に火をつける方法を考え始めた。ジュラ県ドルの大学[注釈 2]在学中に、化学の授業で行った硫黄塩素酸カリウムの混合粉末を軽い衝撃で爆発させる実験に想を得て、リンを加えた着火実験を繰り返し、1831年にジョン・ウォーカーの摩擦マッチの頭薬の硫化アンチモン白リンに変えて定着させることに成功し、ウォーカーマッチのように紙やすりで強く擦らなくとも着火する「黄燐マッチ」を発明した[2][4]

ソリア自身は1,500フランの特許申請料を工面することができず、製品化まではいたらなかった。翌年、ドイツルートヴィヒスブルクヤコブ・フリードリッヒ・カマラードイツ語版によって、黄燐マッチの工業的な生産が開始される[5][6]

ブザンソン大学(現在のマリー&ルイ・パスツール大学フランス語版)で医師の資格を取ったソリアは、ポリニー近郊のワインを生産する小村のサン=ロタンフランス語版に定住し、ほぼ無償で医療サービスを提供し、同時に農業にも携わった[2][3]

1887年、国の農業・製造・商業アカデミーから、黄燐マッチ発明の功績が認められ、メダルを授与される[7]

教師になるという希望はジュラ県議会の意向でかなえられず、友人の支援でタバコ屋を手に入れたりして暮らしていたが、大理石採石場の経営への投資で失敗し、貧困のうちに1895年8月22日死去した[5]

関連項目

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI