シュシャ郡

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Шушинский уезд
Şuşa qəzası
シュシャ郡
ロシア帝国の旗 ロシア帝国および
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン民主共和国の郡
1840年  1920年代初頭
シュシャ郡の位置
シュシャ郡の位置
エリザヴェトポリ県ロシア語版内における位置
政庁所在地 シュシャロシア語版
歴史
 - 設置 1840年
 - エリザヴェトポリ県に移管 1868年
 - アゼルバイジャン民主共和国領となる 1919年8月
 - 廃止 1920年代初頭
面積
 - 1897年 4,911km2
人口
 - 1897年 138,771 
     人口密度 28.3/km2
現在 法令上アゼルバイジャン領であるが、事実上独立した「ナゴルノ・カラバフ共和国」が実効支配
1903年の地図

シュシャ郡(シュシャぐん、ロシア語: Шушинский уездアゼルバイジャン語: Şuşa qəzası)は、ロシア帝国およびアゼルバイジャン民主共和国シュシャロシア語版をその中心とし、1840年に設置されてからは主にエリザヴェトポリ県ロシア語版へ属した。

1813年ゴレスターン条約によってロシア帝国の領土とされるまでは、ガージャール朝の下でカラバフ・ハン国トルコ語版の中心地域であった[1]。同地は1822年からロシアの支配を受けるようになり、その後シュシャ郡が1840年4月10日に形成された[1]。所属は1868年からエリザヴェトポリ県ロシア語版へと移されている[1]

下位の行政区画は当初、ミグリン、ケビルリン、ザンゲズル、ジェヴァンシル、チェリャビト、バランジンの6つの区に分かれていた[2]。しかし1867年12月9日の「カフカース・ザカフカース地方の管理の変更について」の法令に基き、ザンゲズル区はザンゲズル郡ロシア語版としてシュシャ郡から分離、昇格した[3]。そして1873年(あるいは1868年[4]1869年[5])にはジェブライル郡英語版ジェヴァンシル郡英語版もまたシュシャ郡から分離している[6]

1917年にロシア帝国が崩壊してからは、一帯はアゼルバイジャン人アルメニア人の間で係争地帯となっていたが、1919年8月にシュシャ郡はジェブライル郡、ジェヴァンシル郡とともにアゼルバイジャン民主共和国の勢力下に入った[7]

地理・社会

脚注

参考文献

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