シュヴィーツ郡
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シュヴィーツ郡 Bezirk Schwyz | |
|---|---|
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郡 | |
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| 国 |
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| 州 |
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| 郡都 |
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| 面積 | |
| • 合計 | 494.32 km2 |
| 人口 (2018) | |
| • 合計 | 55,382人 |
| • 密度 | 110人/km2 |
| 等時帯 | UTC+1 (CET) |
| • 夏時間 | UTC+2 (CEST) |
| 自治体 | 15 |
シュヴィーツ郡(独: Bezirk Schwyz)はスイスのシュヴィーツ州の行政区(独: Bezirk ベツァーク)で、シュヴィーツを郡都とする。15の自治体があり、面積は494.32 km2 (190.86 sq mi)、人口は55,382人(2018年12月31日現在)である。
シュヴィーツ州に属する郡の中で面積と人口は最大であり、州の面積のおよそ半分を占めるが、人口は5分の2弱である。
歴史
シュヴィーツは、ウーリおよびウンターヴァルデンとともに、1291年に旧スイス連邦を建国した最初の三国のうちの一つである。
この渓谷の歴史は、アインジーデルン修道院との争いが決定づけたと言っても過言ではない。アインジーデルン修道院は、934年にストラスブルクで設立されたが、シュヴァーベン大公と神聖ローマ皇帝から広大な所領を与えられており、その中にはジール(Sihl)、アルプ(Alp)、ビーバー(Biber)も含まれていた。11世紀になると畜産が広がり、シュヴィーツではより広い牧草地と山地が必要とされるようになった。ビーバーエック(Biberegg)、ハッゲンエック(Haggenegg)、ホルツエック(Holzegg)、イーベルクエック(Ibergeregg)を挟んだ山の反対側の水系には十分な牧草地があったが、そこはアインジーデルン修道院の所領であった。シュヴィーツの農民が農地の強奪や修道士の誘拐を繰り返したため、1283年からヴァルトシュタット(Waldstatt)の領主となっていたハプスブルク家は、報復に出た。しかしシュヴィーツは1315年のモルガルテンの戦いに勝利し、ミューテン山を越えた側の広大な領域を確保したのである[1]。
基礎自治体の一覧
- 両ミューテン山とシュヴィーツ
| 旗 | 自治体名 | 人口 2018年 12月31日 |
面積 (km²)[2] |
人口密度 (人/km²) |
|---|---|---|---|---|
| シュヴィーツ (Schwyz) | 15181 | 53.18 | 285 | |
| ムオータタール (Muotathal) | 3527 | 172.14 | 20 | |
| イールガウ (Illgau) | 802 | 10.96 | 73 | |
| インゲンボール (Ingenbohl) | 8913 | 13.40 | 665 | |
| モルシャッハ (Morschach) | 1159 | 20.84 | 56 | |
| リーメンシュタルデン (Riemenstalden) | 90 | 11.20 | 8 | |
| ラウエルツ (Lauerz) | 1100 | 9.19 | 120 | |
| アルト (Arth) | 11985 | 42.02 | 285 | |
| シュタイナーベルク (Steinerberg) | 946 | 6.92 | 137 | |
| シュタイネン (Steinen) | 3417 | 11.85 | 288 | |
| ザッテル (Sattel) | 1938 | 17.39 | 111 | |
| ローテントゥーム (Rothenthurm) | 2411 | 22.75 | 106 | |
| アルプタール (Alpthal) | 616 | 22.88 | 27 | |
| オーバーイーベルク (Oberiberg) | 902 | 33.17 | 27 | |
| ウンターイーベルク (Unteriberg) | 2395 | 46.43 | 52 | |
| 合計 (15) | 55382 | 494.32 | 112 |