シルヴィア (歌手)
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大阪府布施市(現:東大阪市)の出身。血液型AB型。実業団のバレーボール選手(セッター)として活動後、佐川満男、中村泰士に師事[2]。1978年2月、佐川満男が大阪・北新地[3]で経営するクラブ「ルーマハウス・アスク」で歌っていたところ、男女デュエットでもう一度売り出したいと考えていたロス・インディオスのリーダー棚橋静雄に紹介される[4][5]。これが縁でロス・インディオスに初代女性ボーカリストとして参加することになり、ロス・インディオス&シルヴィアが結成された。
但し、この時点で彼女はまだ20歳であり、ポップス志向だった上に、ロス・インディオスのメンバーが最大で20歳以上の年齢差があることから、ロス・インディオスへの参加は半年限定、かつ「別れても好きな人」1曲だけの参加という約束だった[4]。しかし、1979年にリリースされたデビュー曲「別れても好きな人」がミリオンセールスを記録して一躍スター歌手となったため、半年の予定が3年在籍することになる。また、1983年に菅原洋一と歌ったデュエット曲「アマン」がヒット。これを転機にひとり立ちしてソロ歌手としても活動を始めた。
ソロ活動はイベントやディナーショーが中心で、自身のヒット曲を観客の1人とデュエットするコーナーのほか、彼女の音楽的ルーツであるブラジル音楽も取り入れ、ボサノバの「イパネマの娘」やナラ・レオンが日本のCMのために録音した「あの日からサウダージ」の日本語訳を歌うこともあった。
その後、東京プリンやエド山口とのコミカルなデュエット曲を発売した。生前最後のレコードは「愛の街 稲城」(クラウンレコード)。また、友人であるシンガーソングライターの塚本正治より「唄」という楽曲を提供され、練習中だった。
2009年5月にステージⅣまで進行した肺癌が見つかる。手術が不可能な状態で、入退院を繰り返しながら放射線治療などを受けていたが[1]、2010年11月28日に東京都港区の病院で、前夫の長男である歌手の中山貴大に看取られ死去。52歳没。
代表曲
- 別れても好きな人(1979.9)オリコン最高4位,90.0万枚
- それぞれの原宿(1980.12)オリコン最高43位,6.4万枚
- うそよ今夜も(1981.7)オリコン最高95位,0.6万枚
- 雨にしのんで(1982.3)作曲は来生たかお
- おもい手(1982.9)(以上、ロス・インディオス&シルヴィアとして)
- アマン(菅原洋一とのデュエット)(1982.11)オリコン最高134位
- 愛のキャラバン(1983.8)作詞・作曲は谷村新司(ソロデビュー曲)
- Let's Dream(1988.9)日立建機イメージソング
- 離婚適齢期(1992.5)
- 二股の女(東京プリンとのデュエット)(1999.3)(えんか!!えいべっくす)
- ムードコーラス命です。(エド山口とのデュエット)(2003.6)(日本コロムビア)
- 能登空港(三輪一雄とのデュエット)(2006.6)「能登空港」
- 東京の男が好きなんか(2007.1)カップリングに「別れても好きな人」ハワイアンバージョンを収録(徳間ジャパン)
- 愛の街 稲城(クラウン)ほか
NHK紅白歌合戦出場歴
CM
- 「味の素のほんだし」
- 「たかの友梨ビューティクリニック」
- 「さつま小鶴」
ラジオ番組
- 「シルヴィアの別れても好きな曲」(アール・エフ・ラジオ日本、毎週土曜日17時40分から17時55分)