シーア派の世紀
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シーア派の影響力の高まり
アッバース朝の弱体化により、タバリスターンのザイド派(864年)やイエメン(897年)など、イスラム世界の辺境に多くのシーア派政権が誕生した。特に、それまで密かに行われていたミレニアリズムのイスマーイール派の布教運動が大規模に広まる契機となり、カルマト派やファーティマ朝の政権が誕生した[5][6]。909年にイフリーキヤで樹立されたファーティマ朝は、瞬く間に北アフリカを支配し、969年にエジプトを征服してレバントに進出した[7]。カルマト派は、899年に東アラビア(バハレーン)で独自の国家を樹立し、イラクやレバントを征服して、930年にはメッカを征服した[8]。
その間アッバース朝は、ムウタディドやムクタフィーにより一時的に再興するが、10世紀初頭のムクタディル(在位908-932年)の指導力の欠如、軍隊と官僚の内紛、財政の不始により、急速に衰退した。親シーア派のブワイフ朝が、約10年間でイランの大部分を支配するまでに成長し、945年にバグダッドを占領した[9][10]。ブワイフ朝はアッバース朝のカリフを保持したが、その後1世紀、アッバース朝のカリフはブワイフ朝における無力な傀儡となった[9]。ブワイフ朝はシーア派の学者を後援し、その庇護の下において、宗派もしくは別個の共同体として十二イマーム派が形成され、教義が詳細になり、シーア派の祭礼や儀式が確立された[11]。10世紀後半、アレッポのハムダーン朝が支配するシリア北部がシーア派の主要な中心地となり[12]、この時期にアラウィー派とドゥルーズ派が出現した。