ジェイムズ・カーカップ
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英国北東イングランド、ダーラム州の港町サウス・シールズに生まれた[3]。ダーラム大学卒。大学では近代語学(スペイン語・ドイツ語・フランス語)を専攻[3]。 第二次世界大戦中に「良心的非戦論者(英: conscientious objector)」のため強制労働収容所に入れられた[3]。 1959年1月東北大学に招かれて初来日し、英文学講師を務めた(1961年まで)。1963年に再来日し、日本女子大学(1964年 - 1969年)、名古屋大学(1969年 - 1971年)などで教えた。1972年2月に離日、ダブリンに住む[3]。 その後、1977年にアンドラに居を据え、京都外国語大学でも教鞭を執った[5](1989年まで)。1989年に退職し、日本を離れてアンドラの永住権を取得した[2]。 1964年東京オリンピック記念日本ペンクラブ文学賞に連作詩「海の日本」で最優秀賞。 日本との関係が深く、その文章は高校、大学の英語教科書に多く採用された。
