ジェイ・レダ
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- 1910年2月12日、アメリカ・ミシガン州デトロイトに生まれる。
- 1931年、21歳のときに、11分のサイレント短編映画『A Bronx Morning(ブロンクスの朝)』を発表。詩的ドキュメンタリーである。
- 1935年に設立されたニューヨーク近代美術館映画部門(Museum of Modern Art Department of Film and Video)の創立者のひとりとなる。
- 1937年、中篇ドキュメンタリー映画『China Strikes Back(中国の反撃)』をシドニー・メイヤーと共同監督。ヨリス・イヴェンス監督の『The 400 Million(四億)』(1939年)よりも2年早く毛沢東を世界に紹介した。
- 1930年代初頭には、労働者映画写真連盟(Workers Film and Photo League)のメンバーであった。セルゲイ・エイゼンシュテインの失われたフィルム『Bezhin Meadow(ベジン高原)』(1935年 - 1937年)の撮影に参加していた[2][3]。同作には助監督としてクレジットされている。
- 史家としては、アメリカ映画、ソ連映画、中国映画が専門[3]。
- 1973年、ニューヨーク大学映画学科教授に就任( - 1988年)。
- 1984年、イーストマン・コダック金メダル賞(Eastman Kodak Gold Medal Award)を受賞[3]。
- 1988年2月15日、ニューヨークにて死去。78歳。
- ジャン=リュック・ゴダールの映画『ゴダールの映画史』(1988年 - 1998年)には、「そうではないか、ジャン=ジョルジュ・オリオールよ…ジェイ・レダよ…ロッテ・アイスナーよ」と、『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』執筆者たちの名を呼びかけるシーンが存在する[4]。