アメリカ球界に在籍していたが、メジャーリーグの経験は無い。
1954年の途中にサル・レッカと共に高橋ユニオンズに在籍し、シーズンを通じ主に4番ショートに座った。シーズンで6本の三塁打、20の盗塁を記録しているが、1年で退団した。
帰国後はハワイの非白人系独立リーグであるハワイ・ベースボール・リーグ(HBL)[1]に所属、1955年にホノルル・ブレーブスの遊撃手として[2]、高橋時代のチームメイトであったジム・ドゥールが所属するルーラル・レッドソックスとシーズン終盤まで優勝争いを繰り広げた事績が記録されている[3]。