ジャグ・バンド
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概要
歴史
ジャグ・バンドの生誕の地は、ケンタッキー州ルイビルであると言われている[1]。この地で最初に活躍したジャグ・バンドが、1900年に結成されたサイ・アンダーソン・ジャグバンドであった。
1924年9月、ルイビル出身のシンガー、サラ・マーティンがジャグ・ブロワーのアール・マクドナルドと組み、レコーディングを行った。これが、ジャグ・バンドとして初めてのレコーディングとされている[2][1]。
この頃になると、ジャグ・バンドはルイビルから飛び火し、メンフィスで新たなバンドが誕生するようになった。メンフィスのバンドの中には、ガス・キャノン率いるキャノンズ・ジャグ・ストンパーズ、そしてウィル・シェイド率いるメンフィス・ジャグ・バンドがあった。ともに代表的なジャグ・バンドとして知られるようになる存在である。この他にも、メンフィス・ミニー、ファリー・ルイスなどジャグ・バンド・スタイルの演奏を展開するミュージシャンが多く登場し、メンフィスのシーンを賑わせた。
1920年代から30年代にかけて、ルイビルとメンフィスの2都市を中心に人気を博したジャグ・バンドだが、1930年後半頃から都会的なスタイルがもてはやされるようになり、その勢いを失っていった。
イギリスでは、1950年代に登場したロニー・ドネガンの「ロック・アイランド・ライン」のヒットにより、大きなスキッフル・ブームが起こるが、このスキッフルは一般的にジャグ・ブロワーを含まないジャグ・バンドを指す言葉となっていた。
一方本場アメリカでは、1950年代後半から60年代にかけてのフォーク・ブームの盛り上がりとともに、ジャグ・バンド・リバイバルが若い世代の間で発生した。その流れの中で登場したのがボストンを拠点としたジム・クウェスキン・ジャグ・バンドであり、ジョン・セバスチャンらが参加したニューヨークのイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドであった。双方のバンドに、若かりし頃のマリア・マルダーも参加していた。ルーフ・トップ・シンガーズの曲「ウォーク・ライト・イン」は、ジャグ・バンド唯一の全米ナンバー1ヒットとなり、アラバマ州に隠棲していたガス・キャノンが再発見されレコーデングを行った。またグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアらも、もともとはジャグ・バンドのメンバーだった。

