ジャック・ラドラ
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父親はスペインとポルトガルの血を引き、母親はフィリピン及び中国系である。メジャーリーグベースボールもマイナーリーグも経験していないアマチュア選手だったが、1958年に来日し、東映フライヤーズに選手として入団した。
1年目から主に三番打者を務め[2]、その期待に応えた。監督推薦でオールスターゲームに初出場し、チーム最多本塁打と最多打点を記録、規定打席(14位、打率.240)にも達した。本来は強肩を活かした外野手だったが、1961年には二塁手、山本八郎が移籍した1963年からは一塁手もこなし、ユーティリティプレイヤーとして7年間にわたり日本でプレーした。
1962年の阪神との日本シリーズでは第3戦から一番打者に抜擢され、25打数4安打と成績は今一つだったが、チームの日本一に貢献している。温厚な性格で[2]ナインともよく打ち解けていたという。俳優ばりの甘い顔立ちで大人気だった[2]。