ジャン・ユレ
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12歳から演奏家として活動し、17歳で処女作を手懸けた。ピアニストとしては有能なヴィルトゥオーゾであり、ヨーロッパ全土で演奏旅行に取り組んでかなりの成功を収めた。また、ノートルダム=デ=ブランク=マントー教会やサン=マルタン=デ=シャン教会、サン=セヴラン教会のオルガニストを歴任し、1926年にウジェーヌ・ジグーの後継としてサントギュスタン教会に就職した。作曲家としては、室内楽曲のほかに声楽曲や付随音楽、多数のオルガン曲を手懸けた。
1924年に雑誌『オルガンとオルガニスト(フランス語: L’Orgue et les organistes)』を創刊してその編集長となり、ピアノやオルガンの演奏技巧について数々の手引きを出版した。
作曲家としては1910年に悲劇《大聖堂》 を作曲し、その第三幕で12の音をすべて使う和音を用いたことによって知られている[1]。