ジュゼッペ・ガリバルディ (空母)
イタリア海軍の航空母艦
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ジュゼッペ・ガリバルディ(イタリア語: Giuseppe Garibaldi, C 551) は、イタリア海軍の航空母艦[1][2]。イタリア海軍史上初めて戦力化された空母であり、法的制約のために当初はヘリ空母として建造されたが、後にハリアーII攻撃機を搭載して軽空母として運用されるようになった[3]。また後継艦の「カヴール」が就役すると、ヘリコプター揚陸艦に転用された[4]。
| ジュゼッペ・ガリバルディ | |
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改修後の艦影(2004年) | |
| 基本情報 | |
| 建造所 | フィンカンティエリ社モンファルコーネ造船所 |
| 運用者 |
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| 艦種 |
航空母艦 (ヘリ空母→軽空母) →ヘリコプター揚陸艦 |
| 前級 | ヴィットリオ・ヴェネト (C 550) |
| 次級 | カヴール (C 550) |
| モットー | Obbedisco(遵守する) |
| 母港 | ターラント |
| 艦歴 | |
| 発注 | 1978年2月20日 |
| 起工 | 1981年3月26日 |
| 進水 | 1983年6月11日 |
| 就役 | 1985年9月30日 |
| 退役 | 2024年10月1日 |
| 要目 | |
| 基準排水量 | 10,000 t |
| 満載排水量 | 13,850 t |
| 全長 | 180.2 m |
| 最大幅 | 33.4 m |
| 水線幅 | 30 m |
| 吃水 | 6,5 m |
| 飛行甲板 | 174 m |
| 機関 | COGAG方式 |
| 主機 | LM2500ガスタービンエンジン×4基 |
| 出力 | 82,000 hp (61,000 kW) |
| 推進 | スクリュープロペラ×2軸 |
| 速力 | 最大30ノット |
| 乗員 |
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| 兵装 |
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| 搭載機 | |
| C4I | IPN-20戦術情報処理装置 |
| レーダー | |
| ソナー |
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| 電子戦・ 対抗手段 | |
艦名は、イタリア王国統一に貢献した19世紀の軍事家ジュゼッペ・ガリバルディに由来する[3][注 1]。
来歴
空軍の成立と大戦での経験
1921年にジュリオ・ドゥーエ将軍が発表した『制空』は、イタリア統帥部に強烈な影響を与えた。1923年にイタリア王立空軍が発足すると海軍は全ての航空機を失って、洋上哨戒、艦隊防空、対艦攻撃などの海上航空作戦も空軍の所管となり[5]、1937年の空軍法によって正式に固定翼機の運用を禁止された[3]。しかし空軍は、宿命的に海上作戦に対する関心が薄く、訓練も十分ではなかった[5]。
ワシントン海軍軍縮条約で、イタリア海軍の航空母艦のために6万トンが割り当てられていたにも関わらず、イタリア本土および北アフリカの航空基地から発進する陸上機だけで地中海の作戦海域は全てカバーできるとの判断のもと、その建造計画は具体化しないままに第二次世界大戦の開戦を迎えた[5]。しかし大戦では、緒戦のカラブリア沖海戦から、最後の海戦となったペデスタル作戦に至るまで、空軍の非協力や拙劣な航空作戦のために勝機を逸し、あるいは艦隊の損害増大を招いた事例が続発することになった[5]。これらの戦訓から空軍による航空支援の不足を痛感し、海軍は、1941年より改造空母として「アキラ」「スパルヴィエロ」の取得を試みたが、いずれも未完に終わった[6]。
海軍の再建とヘリコプターの導入
大戦後、パリ条約によって一度は軍備制限を課されたものの、冷戦構造の成立とともに、北大西洋条約機構(NATO)の一翼を担うべく軍の再建が図られることになった[5]。巡洋艦としては、当初は戦前に建造された艦が運用されていたが[7]、1960年代中盤より、アンドレア・ドーリア級2隻と発展型の「ヴィットリオ・ヴェネト」が建造された。これらは地中海で艦隊や輸送船団の艦隊防空および対潜防御を担うものとして設計されており[8]、テリア艦隊防空ミサイルとともに、充実した艦載ヘリコプターの運用能力を備えていた[9]。
ただし予算の制約は厳しく、これらの新造艦の就役のために旧式艦多数の退役を余儀なくされるなど、海軍兵力整備は綱渡りの状況が続いており[5]、当初計画されていたヴィットリオ・ヴェネト級の2番艦「イタリア」の建造も断念された[8]。この状況を打開するため、1975年に総予算1兆リラ、10ヵ年計画の海軍法が成立し、質・量ともに充実が図られることとなった[5]。
そしてこの海軍法のもとで、イタリア初の航空母艦として計画されたのが本艦である[5]。これはいわば、断念された「イタリア」をもとに、防空艦としての性格を省く一方で航空運用機能を強化したものであった[8]。1974年、イタリア海軍は造船会社に対して全通飛行甲板を有するヘリコプター搭載艦の提案を求め、1975年、ブレダ社とイタルカンティエーリ(現在のフィンカンティエリ)社の提案のなかから後者を選定して、1978年2月に建造を発注した[10]。上記の空軍法の制約のため、当初はヘリ空母として建造されたが、下記の通り、当初から軽空母としての運用を想定した設計になっていた[3][注 2]。
設計

船型としては長船首楼型が採用されている。上部構造物は鋼製で、右舷側に寄せたアイランド方式とされている。船体には5層の甲板が設定されており、飛行甲板直下の格納庫甲板が主甲板とされている。13の水密隔壁によって区分されており、NBC対策としてそれぞれの区画は気密を保てるように設計されている[2]。
主機としては、ルポ級フリゲートで高速機として搭載されていたのと同型のゼネラル・エレクトリック LM2500ガスタービンエンジン(フィアット社によるライセンス生産品)を4基、2基ずつ2軸に配したCOGAG方式となっている[1]。なおトシ社製の逆転機能がある減速機が採用されており、推進器は可変ピッチ・プロペラではない[2]。
小型の艦でも航空機の運用能力を確保するため、船体の水面下には引き込み式のフィンスタビライザーを片舷2枚ずつ計4枚装備して、安定化に努めている[2]。
能力
航空運用機能
エンクローズ型艦首から続く全通飛行甲板は全長173.8×幅30.4メートルを確保しており[1]、6つのヘリコプター発着スポットが設定されている。その前端部には角度6.5度のスキージャンプ勾配が設置されているが[2]、当初は上記の空軍法のために固定翼機の運用が禁じられていたため、甲板への波浪の影響を避けるための設計であると説明されていた[3]。
その直下の格納庫は、長さ110m×幅15m×高さ6mを確保しており、シーキングであれば最大12機、ハリアーIIであれば最大10機(およびシーキング1機)を収容できる[2]。ダメージコントロールを考慮し、2基の防火カーテンで3つに区分できるようになっている[12]。飛行甲板と格納庫を連絡するエレベーターは、舷側式ではなく船内設置方式を採用しており、やや右舷側に寄らせてアイランドの前後部に各1基の合計2基が設置されている。形状はいずれも8角形で長さ18m×幅10m、約15トンの耐荷重を有する[1][2]。
なお上記の空軍法のために、当初はヘリ空母として運用されており、SH-3Dシーキング16機が搭載されていた[2]。その後、1989年に空軍法が改正されるとともにハリアーII攻撃機(アメリカ海兵隊のAV-8B+の同型機)が発注されて、1994年より引き渡しを受け、同年11月に初着艦が行われた[3]。
その後、2009年に後継となる「カヴール」が就役すると[2][13]、本艦は固定翼機の運用を終了して、再びヘリ空母となった。この際にはヘリコプター揚陸艦としての活動が主となり、SH-3D哨戒ヘリコプター7機とアグスタ-ベル 212ASW哨戒ヘリコプター4機に加えて、陸軍のアグスタ-ベル 205汎用ヘリコプター6機、A 129攻撃ヘリコプター3機およびCH-47輸送ヘリコプター2機の搭載が可能とされた[1]。ただしその後も、「カヴール」の修理などの際には、その航空団を搭載することもあった[4]。
個艦防御機能

本艦は重装備で知られており、就役時には、飛行甲板後部に片舷2基ずつ搭載されたテセオ艦対艦ミサイル単装発射筒4基による対水上打撃力、艦首のDE-1160LF 船首装備ソナーおよび右舷側の船体内に前後1基ずつ搭載されたILAS-3 3連装短魚雷発射管による対潜戦能力、アルバトロス個艦防空ミサイルによる防空能力を備えており、近接対空火器としてブレーダ・メッカニカ・ブレシャーナ社の40mmコンパット砲(ボフォース 70口径40mm機関砲の連装砲塔)を飛行甲板の前側に並列配置で片舷1基ずつ2基・甲板後部に1基の計3基を竣工時に搭載していた。この機関砲は、RTN-20X 射撃指揮レーダーなどと連接されて、CIWSとしてダルド・システムを構成していた[2]。
このうち、とくに艦対艦ミサイルは、西側諸国の空母としては唯一の装備であったが、2002年から2003年にかけて近代化改装を行った際、指揮管制装置と通信装置の増設による重量増加、それに伴う重心の上昇を解消するために撤去された。この際に、ソナーもDE-1160LFから、同系列だがより高周波のWASS DMSS-2000(DE-1160のアレニア社派生版)に換装された[2][14]。
艦歴
1977年11月21日に契約が締結され[1]、1978年2月20日に正式な発注がなされた[8]。1980年2月に設計作業が完了し、1981年3月26日に起工された。1984年12月3日より海上公試が開始され、1985年9月30日に竣工した[8][1]。
1994年、ソマリアでの人道的介入作戦である希望回復作戦に参加していたイタリア陸軍部隊の撤退支援のために海軍が出動し[15]、本艦もこれに加わった[10]。また希望回復作戦を引き継いだ第二次国際連合ソマリア活動も1995年には打ち切られたが、同年1月には、受領したばかりのハリアー IIを搭載した本艦が再びソマリア沖に出動し、撤退支援を行った[10][3]。このときには、3機のハリアーIIが上空警戒と武装偵察を実施して、良好な結果を残した[11]。
1997年には、本艦はアルバニアでの騒擾状態への介入作戦 (Operation Alba) の支援にあたった[10]。また1999年にはコソボ紛争への介入作戦(アライド・フォース作戦)に参加し、搭載のハリアーIIはのべ30回の出撃を実施、Mk.82 500ポンド爆弾やGBU-16 1,000ポンド誘導爆弾、AGM-65空対地ミサイルによってユーゴスラビア人民軍や民兵を攻撃した[10]。
2001年には、本艦はアフガニスタン紛争への介入作戦(不朽の自由作戦)に参加することになり、11月にタラントを出港してインド洋に進出、12月から2002年3月まで作戦を行い、搭載のハリアーIIの出撃はのべ288回に及んだ[10]。その後、2003年には、上記の通りSSMの撤去や電子機器の更新・強化などの近代化改修を受けた[10]。
2006年夏には、イスラエル軍によるレバノン侵攻に伴うベイルートからの民間人救出作戦(ミモザ06作戦)に従事したのに続き、国際連合レバノン暫定駐留軍(UNIFIL)の活動を支援する作戦 (レオンテス作戦) に参加した[10]。その後、2008年の新空母「カヴール」の就役と入れ替わりに、2009年より本艦は大規模修理に入った[10]。
2011年リビア内戦への介入作戦(ユニファイド・プロテクター作戦)において、本艦搭載のハリアーII 8機は、地上基地より発進した空軍のタイフーン戦闘機などとともに任務にあたり、誘導爆弾160発を投下、作戦飛行時間は1221時間に及んだ[10]。
当初の計画では2016年までに退役することになっており[2]、本艦とサン・ジョルジョ級強襲揚陸艦3隻の計4隻の更新用として、2万トン級強襲揚陸艦(LHD)3隻の建造が計画されていた[16]。その後計画は変更され、本艦のみの更新用として3万トン級の強襲揚陸艦「トリエステ」が建造され、2019年5月に進水した[4]。2013年秋には再度の大規模修理と寿命延長改修が行われ、実用寿命を2022年まで延長した[10]。その後、「トリエステ」の就役を受けて、2024年10月、本艦は予備役編入された[17]。
2021年には、衛星打ち上げロケットのためのプラットフォームへの改装計画が発表された[18]。その後、2025年には、インドネシア海軍が本艦の取得について検討していることが報じられ[17]、同年8月29日には、インドネシア政府において、本艦の取得について外貨借款で4億5000万米ドルを調達する計画が承認された[19]。2025年3月の報道では、本艦とともにハリアーIIの取得についても検討しているとされていたが[17]、同年6月の防衛展示会ではバイラクタル TB3を搭載した状態の本艦の模型が展示され、7月には、本艦を無人機母艦に改修する提案を正式に提示するため、フィンカンティエリの代表団がジャカルタに派遣された[19]。