ジュリアス・スヴェンセン

From Wikipedia, the free encyclopedia

ジュリアス・スヴェンセン(Julius Svendsen、1919年 - 1971年8月[1])はアメリカ合衆国イラストレーターアニメーター漫画家[2]

1919年、ノルウェー海軍佐官フレドリク・F・スヴェンセン(Fredrik F. Svendsen)とマリー・スヴェンセン(Mary Svendsen)の間の一人っ子としてノルウェークリスチャンサンに生まれる[1][2]。1923年にフレドリクは家族を連れてニューヨーク・ブルックリンに移住。ジュリアスは若い頃から卓越した学業成績と絵の才能を示し、高校卒業後はイラストレーター協会英語版の全額学費負担によりプラット・インスティテュートに進学した[1]。1940年に当時のウォルト・ディズニー・プロダクションに入社するが、第二次世界大戦のため1941年から1945年にはスタジオを離れアメリカ陸軍通信軍団に所属、カナダのアルバータ州北部に駐在した[1][2]

終戦後ディズニーに復帰、初期の仕事としてはウォード・キンボールの『プカドン交響楽』の原画を担当した後、『101匹わんちゃん』、『おしゃれキャット』、『ベッドかざりとほうき』などの原画を務めた[3]。『くまのプーさん』「プーさんと大あらし」、『ロビン・フッド』、『おしゃれキャット』では脚本も担当した[3]

同じくディズニー・スタジオで働いていた女性キャロル(Carol)と出会い、1949年に結婚[1]。4人の子(娘2人と双子の息子)をもうけた[3]

スタジオ外でも、メアリー・ブレアジョン・ヘンチビル・ジャスティスと同じくフリーランスとしてディズニー関連絵本の絵を描いたほか、1950年代末から1960年代にかけてはフロイド・ゴットフレッドソン英語版ロイ・ウィリアムズ英語版とともにコミック・ストリップを連載した[3]

ディズニーではビル・ピートアート・スティーヴンズとの付き合いが多く、とりわけ絵本作家となるためディズニーを離れたピートとは親交を深めた。このときピートに影響を受け、1960年代半ばにキャロルと共にオリジナルの絵本『フルダ』(Hulda) を執筆[3]。ジュリアスの死後1974年に出版されている。2冊目『オラフ』(Olaf) も制作中であったが、未完のまま1971年にボート事故で死亡した[1]

娘のジュリー・スヴェンセン(Julie Svendsen)は成人後ウォルト・ディズニー・イマジニアリングに就職、ディズニーパークのアトラクションのデザインやイラストを担当している[1]

代表作

出典

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI