ジュリアス・スヴェンセン
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1919年、ノルウェー海軍の佐官フレドリク・F・スヴェンセン(Fredrik F. Svendsen)とマリー・スヴェンセン(Mary Svendsen)の間の一人っ子としてノルウェー、クリスチャンサンに生まれる[1][2]。1923年にフレドリクは家族を連れてニューヨーク・ブルックリンに移住。ジュリアスは若い頃から卓越した学業成績と絵の才能を示し、高校卒業後はイラストレーター協会の全額学費負担によりプラット・インスティテュートに進学した[1]。1940年に当時のウォルト・ディズニー・プロダクションに入社するが、第二次世界大戦のため1941年から1945年にはスタジオを離れアメリカ陸軍通信軍団に所属、カナダのアルバータ州北部に駐在した[1][2]。
終戦後ディズニーに復帰、初期の仕事としてはウォード・キンボールの『プカドン交響楽』の原画を担当した後、『101匹わんちゃん』、『おしゃれキャット』、『ベッドかざりとほうき』などの原画を務めた[3]。『くまのプーさん』「プーさんと大あらし」、『ロビン・フッド』、『おしゃれキャット』では脚本も担当した[3]。
同じくディズニー・スタジオで働いていた女性キャロル(Carol)と出会い、1949年に結婚[1]。4人の子(娘2人と双子の息子)をもうけた[3]。
スタジオ外でも、メアリー・ブレア、ジョン・ヘンチ、ビル・ジャスティスと同じくフリーランスとしてディズニー関連絵本の絵を描いたほか、1950年代末から1960年代にかけてはフロイド・ゴットフレッドソンやロイ・ウィリアムズとともにコミック・ストリップを連載した[3]。
ディズニーではビル・ピートやアート・スティーヴンズとの付き合いが多く、とりわけ絵本作家となるためディズニーを離れたピートとは親交を深めた。このときピートに影響を受け、1960年代半ばにキャロルと共にオリジナルの絵本『フルダ』(Hulda) を執筆[3]。ジュリアスの死後1974年に出版されている。2冊目『オラフ』(Olaf) も制作中であったが、未完のまま1971年にボート事故で死亡した[1]。
娘のジュリー・スヴェンセン(Julie Svendsen)は成人後ウォルト・ディズニー・イマジニアリングに就職、ディズニーパークのアトラクションのデザインやイラストを担当している[1]。