ジュリアン・ド・パルム
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スイス南部現在のティチーノ州のロカルノ郡のCaviglianoの貧しい家に生まれた[3]。煉瓦工の婚外子で[4]、イタリア名は、Bartolomeo Ottoliniとされる。イタリア、ピエモンテの画家 Guiseppe Mattia Borgnisの弟子をした後[5]、12歳になった1747年にフランスに移った。シャトールーで4年ほど滞在するなどフランスの各都市で修行し、1759年にはパリに住み肖像画家となった。1760年にイタリアに移り、1773年までローマで活動し、パルマ公国から俸給を得て、神話を題材にした作品を描いてた。1771年に短期間ヴェネツィアに旅したが、パルマに滞在したことは無かったとされる。1773年にパリに戻った後、「ジュリアン・ド・パルム」と作品に署名したが、「新古典派」のスタイルの作品は、まだフランスで人気を得ることはできず、貧窮のなかで亡くなった。
忘れられた画家となっていたが、20世紀になってルーブル美術館の学芸員の美術史家ピエール・ローゼンベール(Pierre Rosenberg)によって再発見され、1998年に展覧会が開かれた[6] 。