ジュール・ドラッシュ
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Jules Joseph Drach ジュール・ジョゼフ・ドラッシュ | |
|---|---|
| 生誕 |
1871年3月13日 |
| 死没 |
1949年3月8日(77歳没) |
| 研究分野 | 数学 |
| 博士論文 | Essai sur la théorie générale de l'intégration et sur la classification des transcendantes. |
| 博士課程 指導教員 | ポル・タンヌリー |
| 主な受賞歴 | ポンスレ賞 (1922) |
| プロジェクト:人物伝 | |
ジュール・ジョゼフ・ドラッシュ (仏: Jules Joseph Drach、1871年3月13日 – 1949年3月8日 )はフランスの数学者[1]。
ドラッシュの家系はアルザス地方に起源がある。普仏戦争の勃発でドラッシュの両親はサン=ディエへ逃れた。ドラッシュはサン=ディエとナンシーのリセに通い、高等師範学校(ENS)へ進学した。1892年にアグレガシオン試験に不合格となったが、ポル・タンヌリーの支援を得て、1898年にPhDを獲得した[2]。博士論文ではピカール、リー、ヴェシオの作品を基に、微分方程式を用いてガロア理論を発展させた[3]。その後クレルモン=フェランの大学(Faculté des Sciences)の准教授に就いた。リール、ポワチエ、トゥールーズの教授職を歴任した後、1913年にソルボンヌ大学で解析力学と高等解析学の教授になった。第一次世界大戦の間は弾道学の数学理論を学び、1920年頃に研究結果を発表した。 国際数学者会議ではボレルと同数の7回の講演を行った。
引退の際は、病気療養で頻繁に利用した屋敷を所有していたカヴァレールに移住し、数学の研究を続けた[3]。
解析学と解析力学に加えてドラッシュは数論、偏微分方程式、微分幾何学の分野においても活躍した。1920年にはフランス数学会会長を務め、1929年、科学アカデミー会員に選出された。
ドラッシュとその友人であったエミール・ボレルは1892年にアンリ・ポアンカレ、1895年にポル・タンヌリーの講義ノートを出版した。ドラッシュはポアンカレの作品集の共編集者も務めた。
ドラッシュはマティルデ・ギトン(Mathilde Guitton)と結婚した。息子のピエール・ドラッシュは著名な生物学者となった。