ジョシュア・スミス
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富山グラウジーズ時代 | |
| フリーエージェント | |
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| ポジション | C |
| 基本情報 | |
| 愛称 | スミス |
| 英語 | Joshua Smith |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1992年5月14日(33歳) |
| 出身地 | ワシントン州シアトル |
| 身長 | 208cm (6 ft 10 in) |
| 体重 | 138kg (304 lb) |
| キャリア情報 | |
| 高校 | ケントウッド高校 |
| 大学 |
UCLA ジョージタウン大学 |
| NBAドラフト | 2015年 / ドラフト外 |
| プロ選手期間 | 2015–現在 |
| 経歴 | |
| 2015-2017 | リオグランデバレー・バイパーズ |
| 2017 | TNT KaTropa |
| 2017-2018 | 京都ハンナリーズ |
| 2018 | TNT KaTropa |
| 2018-2023 | 富山グラウジーズ |
| 2023-2024 | 名古屋ダイヤモンドドルフィンズ |
| 2024-2025 | ライジングゼファーフクオカ |
| 2025.12-2026.1 | 大阪エヴェッサ |
| 2026.2 | レバンガ北海道 |
| 受賞歴 | |
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選手情報 B.LEAGUE.jp | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
ジョシュア・ラトレル・スミス(Joshua LaTrell Smith, 1992年5月14日 - )[1]は、アメリカ合衆国出身のバスケットボール選手。
大学での経歴はUCLAで始まり、3年次に選出された。UCLAでは体重の増加に苦しみ、3年次の途中でジョージタウン大学に転籍、同大で2シーズンプレーした。大学卒業後はNBAデベロップメント・リーグで2シーズンプレーし、その後フィリピンや日本など海外でプレーした。
スミスはシアトルで生まれ、ケントで成長した[1]。5歳で身長は5-フート (1.5 m)あった。8年生のときにUCLAのコーチであったジョン・ウッデンにレポートを送り、その後UCLAのファンとなる[2]。
彼はAAUのチーム、シアトル・ロタリーで自らの身長と体重を有利に活用することを学んだ。ケントウッド高校[3]では1年次に身長6フィート7インチ (2.01 m)であり、毎年1.5インチ (3.8 cm)ずつ成長し、3年次の終わりには6フィート10インチ (2.08 m)となった[2]。最上級生として彼は平均23.2ポイント、15リバウンド、4アシストを記録し、ケントウッド高校をワシントン州のクラス4Aのタイトルに導いた。彼はAP通信のプレイヤー・オブ・ザ・イヤー、マクドナルド・オール・アメリカン、ジョーダン・ブランド・クラシックに選ばれた[4][5]。
彼はESPN RISEのNo.1センターに選ばれ[5]、Rivals.comでは3位、Scout.comでは4位にランクされた[6]。スミスは家から近いワシントン大学に進学することも考えたが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に進学する「機会を逃すわけにはいかない」と語った[2]。
大学での経歴
UCLA

UCLAでの最初の練習で、コーチのベン・ハウランドはスミスの身長とサイズに興奮を示した。「彼がブロックの上にいれば、彼を動かすことはできない。」と語っている。しかしハウランドは、スミスが夏の間に50ポンド (23 kg)を落とし305ポンド (138 kg)になっていたことで、その機動性を懸念した[7]。スミスはUCLAに近年不足していたインサイドゲームを提供した[2]。2010-11年シーズンには33試合に出場、そのうち15試合では先発出場し、平均21.7分で10.9得点、6.3リバウンドを記録した[8]。彼はPac-10 カンファレンスのオールフレッシュマンチームに指名され、驚異的なポテンシャルを示した[9]。しかしファウルトラブルに見舞われ、コンディショニングに苦しんだ[8]。最初の15試合のうち13試合に先発出場したが、次の16試合ではファウルを避けるためにベンチスタートとなった[10][11]2011年のNCAAトーナメントの第3ラウンドにUCLAが進出すると、彼はシーズン後半に圧倒的な存在感を示した。トーナメントの先発出場した2試合を含む最後の4試合で、スミスは平均27分で13得点を記録した[8][11]。UCLAはフロリダ・ゲイターズに73対65で敗退した。その後、疲れきったスミスは「今日はチームを失望させてしまった」と語った[12]。ハウランドはスミスが「あることをすれば」NBAでプロとしてプレーする将来があると考えていた。彼はスミスがコンディショニングの改善に取り組むと信じていた[13]。
2年生になるとスミスはAll-Pac-10の候補と考えられた[14]。しかし彼はオフシーズンにゲームを改善するための努力をせず、2011-12シーズンには体格が以前より大きくないにしても、ほぼ同じサイズであった。そのコンディションは彼の成績に影響を及ぼした。プレー時間は減少し、40分当たりのファウル数は新入生の頃は5.8だったが、7.3へと悪化した[9]。このシーズンの成績は平均17.2分で9.9得点、4.9リバウンドにまで低下した[8]。フィットネスレベルの低下により、彼は長時間プレーすることができなくなり、代わりに2、3分のスティントでローテーションすることとなった[3]。スミスはPac-10トーナメントの2試合で合計わずか17分しかプレーしなかった[14]。フィットネスと集中力の問題にもかかわらず、Pac-12(Pac-10はその時までに拡大していた)の一部のコーチは、彼をカンファレンスでトップのNBA候補とみなしていた[15]。
3年次のシーズンに入ると規律が改善され、前シーズンの終わりから15ポンド (6.8 kg)減量した[9]。彼の目標は1試合で25分から30分プレーすることであった[8]。しかし2012-13シーズンの6試合後にスミスは「個人的な理由」を理由にUCLAを辞めた。UCLAではシーズンごとに成績が低下し、彼の記録は平均13.5分で5.2得点、4.2リバウンドであった[6]。彼は2008年以来UCLAのプログラムを途中で辞めた11人目の選手となった[16]。2012年初め、スポーツ・イラストレイテッド誌はハウランド監督率いるUCLAの規律の欠如を報じた[3][17]。
ジョージタウン大学

スミスはジョージタウン大学に転校し、2013年1月に入学した。彼は同大のチームで練習したが、全米大学体育協会(NCAA)の転校規則によりプレーすることを許可されなかった[3]。彼はNCAAから2013-14シーズンにプレーする資格を与えられた[18]。体重は350ポンド (160 kg)と記載されており、コートを上り下りするのに苦労し、一度にプレーできる時間は数分に限られていた[19]。ジョージタウンでカンファレンスゲーム2試合に出場した後、彼は学業上の資格を理由に2014年1月4日以降のシーズンの残り20試合を欠場した[18][19]。最後の試合の時点で、ジョージタウン大は10勝3敗で、スミスは20分間で平均11.5得点を記録したが、リバウンドはわずか3.4本だった。彼の不在中にチームは8勝12敗となり、シーズンを18勝15敗で終えた[19]。
スミスは2014-15シーズン前に出場資格を回復した[19]。彼は見事に立ち直り、大学バスケットボール界のトップセンターに与えられる第1回カリーム・アブドゥル=ジャバー賞の候補者15人の1人に選ばれた[20]。彼はチーム2位の得点(10.8)とリバウンド(5.8)でシーズンを終え、ポーツマス招待トーナメントに招待された[21]。
プロ経歴
NBA Dリーグ
2015年のNBAドラフトでドラフト外となった後、スミスは2015年のNBAサマーリーグでマイアミ・ヒートでプレーした[22]。その後9月21日、ヒューストン・ロケッツと契約する[23][24]。プレシーズンゲーム7試合に出場した後、レギュラーシーズン前の10月24日に最終カットで解雇された[25][26]。
2015年11月2日、スミスはロケッツの提携選手としてNBAデベロップメント・リーグのリオグランデバレー・バイパーズに加入した[27]。ルーキーの2015-16シーズンはバイパーズで45試合に出場し、平均8.9得点、4.7リバウンド、1.2アシストを記録した[28]。シーズンが進むにつれてスミスの体重は増加し、出場時間は減少し、バイパーズにカットされそうになる[29]。
2016年のオフシーズン中、スミスはラスベガス・サマーリーグに備えて新しいトレーナーとトレーニングし、体重を56ポンド (25 kg)落として327ポンド (148 kg)にした[29]。2016年7月にミルウォーキー・バックスのサマーリーグチームに加わった[30]。2016年10月31日、リオ・グランデ・バレー・バイパーズに再加入する[31]。
海外で
2017年5月17日、スミスはフィリピン・バスケットボール・アソシエーション(PBA)のTNTカトロパと契約した[32]。
2017年8月、京都ハンナリーズへ移籍[33]。その後TNTに復帰した[34]。 2018年7月、富山グラウジーズへ移籍[35][36]。
2023年9月、名古屋ダイヤモンドドルフィンズに移籍[37]。名古屋Dではリーグ戦56試合の出場で9.2得点7.3リバウンドを記録した[38]。2024年5月27日に契約満了となった[39]。
2024年6月21日にライジングゼファーフクオカと契約を結んだ[38]が、1シーズンプレーしたあと、2025年7月25日に双方合意の上契約解除で退団[40]。