NBAドラフト
北米NBAが開催する、新人バスケットボール選手の契約交渉権割り振りのための催事
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NBAドラフト(National Basketball Association Draft)は、北米プロバスケットボールリーグNBAの球団が、アマチュア選手との契約交渉権を獲得するために行う毎年恒例の行事である。レギュラーシーズン終了後の6月の第4木曜日に開催される。
概要
前シーズンの勝率の悪いチームから順番に指名していくウェーバー方式で行われ、1巡目と同じ順で2巡目の指名も行われる。3巡目以降の指名は行われず、これは北米のプロスポーツとしては最も少ない。勝率が同じ複数のチームの指名順は、くじで決められる。
ただし1巡目上位4位までは例外とし、NBAプレーオフに進出できなかった14チーム(NBAプレーイン・トーナメントで敗退したチームを含む)による、成績の悪いチームほど有利になるよう配慮されながら、意図的に成績を悪くすることを抑制するよう工夫された抽選(ロッタリー)で指名順位が確定される。
指名権のトレードも頻繁に行われるため、同一チームが連続して指名することもある。どのチームも最低一回の指名は行わなければならない。在米の選手は高校卒業から1年後、海外からエントリーする選手は19歳以上を対象とする。これは近年、高卒選手の指名が相次ぎリーグのレベルが低下しているとコミッショナーのデビッド・スターンが危惧したためだと一般的には言われている。大学入学当初から体格に恵まれ、運動能力が高く、NBAの当たりの激しさに早くから対応できる選手、人材難な年のため高順位が期待される選手は、大学を4年間通わず、アーリーエントリーして入団するのが現在の主流になっている。
ドラフト選考過程
ドラフト資格
ドラフト指名を獲得できる選手は、2005年のドラフトまで高校卒業以上としていたが、2005年7月に新労使協定によるルール改定が行われ、ドラフトの行われる暦年(1月から12月)で最低19歳に達する必要があり、アメリカのハイスクール出身者は卒業から最低1年経過していなければ資格を得られない。スポーツ代理人との契約、ドラフト参加宣言、ドラフト不参加には制限があり、ほとんどはNBAよりもむしろNCAAによって規制がなされている。
自動資格
ドラフト時の日時で19歳に達していて、アメリカのハイスクール出身者は卒業から最低1年経過し、かつ下記の基準を満たしていれば、自動的に資格が与えられる。
- カレッジの4年次の資格を完了している。
- アメリカ合衆国のハイスクールを卒業後、国内の大学に進学しておらず卒業後4年が経過している。
- NBA以外の国外のプロチームで既に契約の下プレーした経験がある。NBAに行くために大学を中退する前に契約から開放されている。
アーリーエントリー
前述の自動資格取得ではない選手で、ドラフト資格を得たい選手はドラフト60日前にそれを宣言する必要がある。宣言後に、自身の能力を見せ、ドラフトでの位置付けに関するフィードバック情報を得るために、プレドラフトキャンプや各チームのワークアウトに参加することができる。
NBA団体交渉協約(CBA)はドラフト10日前の最終宣言期日までに何時でもエントリーを取り下げることを認めている。しかしながらNCAAは2009年8月に、5月8日までに取り下げないと大学資格を失うことを決定した。このルールは2010年ドラフトで初めて採用された。2011年、NCAAは更に大学資格保持のための取り下げ期限を前倒しし、4月中の春季大会登録時までとした。
現在は、2016年のNCAAのルール改定により、ドラフトコンバイン参加後10日以内ならば取り下げ可能となった。エントリーを宣言した選手は、たとえ指名を受けなくとも、期限までに取り下げなかった場合、大学選手資格を失う。下記の場合でも同様に大学資格を失う。
- 選手が代理人と契約した場合。
- 2016年の改正までは、選手が宣言をして、過去のエントリーで取り下げている場合。
NBA団体交渉協約(CBA)は2度までエントリー取り下げを許容しているが、NCAAは大学資格を失わずにドラフトにエントリーできるのは一度のみとしていた。2016年に改定されたNCAAの新規定では、NBAドラフトへの複数回のエントリー、ドラフトコンバインへの参加、1年に1度NBAチームのトライアウトに参加することも認められるようになった[1]。
ドラフトコンバイン
ドラフトに先立ち、5月にリーグ全チームの投票に基づいて60人前後のエントリーが期待されるドラフト候補選手を招待し、各チームのGM、コーチ、スカウトによって、シューティングドリル[2] を始めとした各種オンコートドリルと、身体測定、身体能力測定[3]、健康診断、個別面談が行われる[4][5]。コンバインに招待されなかった、あるいは所属リーグの都合上コンバインに参加できなかった候補選手については、インターナショナルプレーヤーの場合はアディダスユーロキャンプ[6] に、NCAAシニアの選手の場合は、ポーツマス招待トーナメント(PIT)[7] に参加する。
2016年のNCAAのルール改定により、これまでエントリーの取り下げは、学生選手契約書にサインする月の期限日前日までにエントリーを取り下げるかどうかを決めなければならなかったのが、ドラフトコンバイン参加後10日以内ならば可能となった[1]。
- 主な測定項目
ドラフトピック
初期のドラフトでは、チームは対象選手が尽きるまで選んでおり、1960年と1968年には21順まで達した。1974年までに10順に落ち着き、1985年に7順目まで短縮されるまで続いた。1989年のドラフトからは2順目までに減らされた。これによりドラフト外の選手がどのチームでも選べるようになり、現在のシステムとなった。
ドラフト抽選
NBAのドラフト抽選(ロッタリー)は、前シーズンにプレーオフに出場できなかったチームの間で、成績の悪かったチームほど有利になるように配慮された抽選で、1巡目の4位までの指名権を決定する恒例行事である。プレーオフ進出を逃したチームは、ロッタリー・チームと呼ばれることがある。ただし、この抽選に参加する権利は、プレーオフに出場したチームも含めたチーム間でトレード対象となる。
ロッタリーの方法としては、番号をたくさん用意しておき、その番号を成績の悪い順に多く分配する事により当選確率を調整する。
複数チームが同一順位であった場合は、与えられる番号の数を平均化した後、抽選で勝ったチームが1個だけ多く与えられるよう調整される。
ロッタリーの目的は、下位チームがドラフト上位指名権を目指して意図的に負けることを抑制することである。
1984年以前
初期のドラフトでは前シーズンの成績の悪い順で指名が行なわれていたが、チームの地域に所属する選手を指名できる特別な地域指名(テリトリー・ピック)ルールによる指名ができた。もしチームがこの権利を行使したい場合は、1巡目指名権は没収された。この特別ルールは1966年に改定されるまで続いた。
1966年に各ディビジョン(1971年以降は各カンファレンス)の最下位チームの間でコイントスにより決定される方式が導入された。勝者は1位指名権を、敗者は2位指名権を得た。残りチームは勝率の悪い順で指名する方式で、1984年まで続いた。
1985-1989年初期抽選方式
1985年からは前シーズンにプレーオフに出場できなかったチーム全てで同確率で抽選が行われるシステムに変更された。封筒に該当チーム名を記載したカードを入れ、順番に選択し、抽選に参加したすべてのチームの1巡目の指名順位を決定した。以降は成績の悪い順に指名が行われた。有力選手を得るために下位チームがわざと負ける(タンク)という批判にこたえたものである。新システムの初の実行年には、注目選手であったパトリック・ユーイングがニューヨーク・ニックスに指名された。
1987年には、同じくプレーオフに出場しなかったすべてのチームが参加し、1巡目3位までの3つの指名権だけが同確率の抽選で決定されるよう変更された。4位指名以降は、成績の悪い順に指名した。
1990年以降の現抽選方式
1990年に抽選に際して当選確率を成績に応じて調整する現行の方式が開始し、現在まで若干の変更を加えながら続いている。以前と同様にプレーオフに出場できなかったすべてのチームが参加する。具体的な方法としては、1,000個の数字の組み合わせをあらかじめ14チームに、成績の悪いほど数多く配分しておく。14個の番号が書かれたピンポンボールの中から4個を取り出し、11-12-13-14の組み合わせを無視することで1,000個の組み合わせを得る。第2位指名以降も同様に行われ、既に指名権を得たチームの番号が選ばれた場合は無視し、まだ指名権を得ていないチームの番号が選ばれるまで続ける。
1990年の方式では、最下位チームが66分の11の確率(0.1666..)、次に成績の悪いチームが66分の10の確率(0.1515..)、以降も同様に確率が配分された。1巡目3位までの3つの指名権だけが対象となった。
1994年からは、最下位チームの確率が0.25になり、やはり順位が悪いほど確率が高いよう、次の表のように変更された。
| 順位 | 当選数 | 1st | 2nd | 3rd | 4th | 5th | 6th | 7th | 8th | 9th | 10th | 11th | 12th | 13th | 14th |
| 1 | 250 | .250 | .215 | .178 | .357 | ||||||||||
| 2 | 199 | .199 | .188 | .171 | .319 | .123 | |||||||||
| 3 | 156 | .156 | .157 | .156 | .226 | .265 | .040 | ||||||||
| 4 | 119 | .119 | .126 | .133 | .099 | .351 | .160 | .012 | |||||||
| 5 | 88 | .088 | .097 | .107 | .261 | .360 | .084 | .004 | |||||||
| 6 | 63 | .063 | .071 | .081 | .439 | .305 | .040 | .001 | |||||||
| 7 | 43 | .043 | .049 | .058 | .599 | .232 | .018 | .000 | |||||||
| 8 | 28 | .028 | .033 | .039 | .724 | .168 | .008 | .000 | |||||||
| 9 | 17 | .017 | .020 | .024 | .813 | .122 | .004 | .000 | |||||||
| 10 | 11 | .011 | .013 | .016 | .870 | .089 | .002 | .000 | |||||||
| 11 | 8 | .008 | .009 | .012 | .907 | .063 | .001 | .000 | |||||||
| 12 | 7 | .007 | .008 | .010 | .935 | .039 | .000 | ||||||||
| 13 | 6 | .006 | .007 | .009 | .960 | .018 | |||||||||
| 14 | 5 | .005 | .006 | .007 | .982 |
2019年以降は、1巡目の4位までの4つの指名権が抽選対象となった。デフォルトでは、以下のように成績の悪い3チームは1000分の140の確率を等しく与えられ、4番目に成績の悪いチームは1000分の125の確率を与えられ、5番目以降もしだいに減少する確率が与えられる。1巡目5位以降の指名権は成績の悪い順に与えられる。
- Team 1: 14.0%
- Team 2: 14.0%
- Team 3: 14.0%
- Team 4: 12.5%
- Team 5: 10.5%
- Team 6: 9.0%
- Team 7: 7.5%
- Team 8: 6.0%
- Team 9: 4.5%
- Team 10: 3.0%
- Team 11: 2.0%
- Team 12: 1.5%
- Team 13: 1.0%
- Team 14: 0.5%
複数チームが同一成績である場合は、与えられる数字の組み合わせ数を平均した後、あらかじめ行われる抽選で勝ったチームが組み合わせを1個だけ多く与えられる。例えば、2024年には3番目と4番目に悪い成績のチームが同一勝率であったため、140個と125個の組み合わせを平均した後、一方に133個、もう一方に132個が与えられた。
国際化
歴史
1947年、ワッツ・ミサカ[8] がニューヨーク・ニックスに非白人として初めて指名された。
1962年、レジー・ハーディングが高卒の選手では初めて指名された。
1965年、双子のトム・バン・アースデール、ディック・バン・アースデールがそれぞれドラフトで指名された。この年まで地元ファン獲得のためにNBA地域ドラフト制度と呼ばれる制度でホームアリーナ近郊の大学出身選手をドラフトに先立って指名する制度があった。この制度を用いた場合、チームはドラフト1巡指名権を失った。
1977年、ルシア・ハリスがニューオーリンズ・ジャズに女性として初めて指名されたが、NBAでプレイすることはなかった[9]。2021年時点でも唯一の女性指名となっている。
1978年、マイカル・トンプソンがポートランド・トレイルブレイザーズにアメリカ合衆国以外出身の選手として初めて1位で指名された。
1981年、岡山恭崇がゴールデンステート・ウォリアーズに日本人プレイヤーとして初めて指名されたが[10]、米国でプレイすることはなかった。岡山は、NBAドラフトで指名された史上最も長身の選手として知られている。
1984年、ヒューストン・ロケッツが2年連続全体1位指名権を獲得、アキーム・オラジュワンを指名して、前年に指名したラルフ・サンプソンと共に「ツイン・タワー」を形成した。また、この年、マイケル・ジョーダンが全体3位で指名されている。この年のドラフトではカール・ルイスが指名されているがNBA入りすることなく陸上競技に専念した。
1993年、オーランド・マジックが2年連続1位指名を獲得した。シャキール・オニールを前年指名したのに次いで、41勝41敗とプレーオフに進出したインディアナ・ペイサーズと同じ勝利数で終えたが惜しくもプレーオフに出場できなかった代わりに奇跡的な確率だった全体1位指名権を得た。クリス・ウェバーを指名して、ドラフト後にアンファニー・ハーダウェイとトレードを行なった。
2000年、ミネソタ・ティンバーウルブズとジョー・スミスの間で、サラリーキャップ規定に反した契約が交わされていたことが発覚し、ティンバーウルブズは5年間ドラフト1巡目指名権を剥奪された(2003年、2005年は獲得が認められた)。
2001年、ケビン・ガーネット、コービー・ブライアントら高卒選手の活躍を受け、19歳のクワミ・ブラウンが高卒では史上初の1位でワシントン・ウィザーズに指名された。
2002年、中国出身の姚明が米国人や米国の大学でプレイしていた選手以外としては初めて1位でヒューストン・ロケッツに指名され、2005年、2006年には連続で外国出身の選手が1位で指名された(2006年のイタリア出身アンドレア・バルニャーニは欧州人初)。
2001年から2010年はマディソン・スクエア・ガーデンでの開催が続いたが、2011年、2012年はMSGが改修工事が行われている関係で、ニュージャージー州ニューアークのプルデンシャル・センターで開催された。2013年、2014年はバークレイズ・センターで開催された。
テレビ放送
1980年よりアメリカのケーブルテレビ向け娯楽専門テレビ放送局で、現在は3大ネットワークのNBCなどと共に、NBCユニバーサルの傘下にあるUSAネットワークで、1984年まで放映されており、NHL,NFLも同年から放送を開始している。1985年からは米タイム・ワーナー傘下のターナー・ブロードキャスティング・システムが運営するTBS (アメリカのテレビジョン放送)で"NBA on TBS"パッケージの一部として放送を開始し、1990年から2002年は"NBA on TNT"に移動した。ESPNが2002年にNBCから放送権を獲得し2003年から“NBA on ESPN”で放送が開始し現在に至っている。