ジョセフ・ウェーバー
From Wikipedia, the free encyclopedia
ウェーバーは、アメリカ合衆国ニュージャージー州パターソンに生まれた。クーパー・ユニオンに入学するものの、生活費の工面が難しく、海軍兵学校の試験を受け合格した。海軍兵学校を1940年に卒業、同年海軍少尉に任命され、航空母艦レキシントンに就艦、1941年12月5日には、真珠湾攻撃の大惨事から、からくも遁れている。1942年5月8日の珊瑚海海戦では、日本空母に多大な損害を与えたが、同時にレキシントンも日本機動部隊の攻撃を受け被弾、消火活動に失敗した「レキシントン」は、猛火に包まれ、総員退却。この時、彼も危うく逃れている。その後、駆潜艇SC690に着任し、大西洋を横断する護衛艦をまもり、1943年のシシリー島上陸にも加わっている。
第二次世界大戦後は、海軍船舶局電子設計部門の責任者となる。彼は、アマチュア無線の経験とレーダーへの入れ込みにより、電子対抗手段(ECM)の研究開発を任せられた。
1948年メリーランド大学の電気工学正教授となる。この時、海軍少佐として除隊している。同年、アメリカカトリック大学の大学院に入学し、アンモニアの超短波反転スペクトルをキース・レイドラーと共同研究し、1951年同大学より物理学の博士号(Ph.D.)を授与されている。
同時期、彼はAとBのアインシュタイン定数が、現在メーザーやレーザーと呼ばれる電磁波増幅器を作れば、使えることに気づいた。彼は、その考え方を1952年6月、カナダ・オタワでの無線学会(IRE)で発表し、現在量子エレクトロニクスと呼ばれている最初の公開文献を出版した。彼の努力はIRE(現IEEE)の目に留まり、「初期のメーザーへと導く考え方の理解」の功績で上級会員となる(1958年)。メーザーとレーザー装置の実用開発は、チャールズ・タウンズ、ニコライ・バソフ、アレクサンドル・プロホロフ、セオドア・メイマンとアーサー・ショーローらによって成し遂げられている。タウンズ、パソフ、プロホロフらは1964年に、またショーローは1981年に、それぞれノーベル物理学賞を受賞し、メイマンは1987年、日本国際賞を受賞している。
1955~56年にかけ、彼は、グッゲンハイム奨学金を受け、ニュージャージー州プリンストンの高等研究所で、一般相対性理論の研究に没頭した。重力波の存在が、あまり受け入れられなかった当時、ウェーバーは、本気でその波を検出しようとした最初の一人だった。メリーランド大学では、1961年に物理学部の正教授となっている。
彼は、高校時代のクラスメイト、アニタ・ストラウスと結婚し、4人の息子をもうけている。その結婚は、1971年に彼女が亡くなるまで続いた。その後、天文学者のバージニア・トゥリンブルと再婚している。
また、重力波検出器(ウェーバー・バー)の考案者としても知られ、アメリカ天文学会による天体観測のためのジョセフ・ウェーバー賞は、彼の名に因み付けられた。 この賞は、天文学の進歩を導いた器機の使用(ソフトウェアではなく)についての設計、発明または重要な改良に対して、いかなる国籍であろうとその個人に対して授与される。また、候補者の市民権や住んでいる国によって制約されることはない、などとしている。
