ジョセフ・グリネル
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ジョセフ・グリネル | |
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| Joseph Grinnell | |
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| 生誕 |
1877年2月27日(149歳) |
| 死没 |
1939年5月29日(62歳没) |
| 国籍 |
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| 出身校 | スループ工科大学(現カリフォルニア工科大学)、スタンフォード大学(博士号) |
| 配偶者 | ヒルダ・ウッド(1906年結婚) |
ジョセフ・グリネル(Joseph Grinnell、1877年2月27日 - 1939年5月29日)は、アメリカ合衆国の野外生物学者・動物学者・鳥類学者である。
カリフォルニア州の動物相に関する広範な調査で知られ、精密な野外観察を記録するための方法論として「グリネル・システム(グリネル法)」を確立したことで高く評価される。カリフォルニア大学バークレー校脊椎動物学博物館(Museum of Vertebrate Zoology、MVZ)の初代館長を1908年の創設から死去するまで務め、生態的ニッチ概念の先駆的提唱者としても知られる。1906年から1939年まで鳥類学誌『ザ・コンドル』(The Condor)の編集長を務め、生涯に500本以上の学術論文・著作を発表した。
生い立ち
グリネルは1877年2月27日、現在のオクラホマ州にあたるインディアン準州のフォート・シル(Fort Sill)で生まれた。父フォーダイス・グリネル(Fordyce Grinnell)は平原インディアンの政府付き医師であり、母はサラ・エリザベス・プラット(Sarah Elizabeth Pratt)である。幼少期はダコタ州でも過ごしたのち、7歳のころに家族とともに南カリフォルニアのパサデナに移住した。グリネルは十代のころすでに鳥類標本の採集に情熱を注いでおり、少年時代から18冊のフィールドノートをつけていたと伝えられる[1]。
教育・アラスカ調査
1893年にパサデナ高校を卒業し、スループ工科大学(Throop Polytechnic Institute、現在のカリフォルニア工科大学)に入学した。1896年、在学中にアラスカへの調査旅行の機会を得て、2年間にわたって鳥類の観察と標本採集に従事した。1897年には帰途にサンタカタリナ島 (カリフォルニア州)やサンクレメンテ島でも調査を行った。その後スループに戻り、1897年に学士号を取得した。1898年には再度アラスカに渡り、クロンダイク・ゴールドラッシュ期のコッツェビュー・サウンドで採掘会社に参加しながら野鳥の観察を続けた。この経験は後に書籍『アラスカで金を探して』(Gold Hunting in Alaska、1901年)にまとめられた[2]。
バークレーでの活動
1906年6月22日、かつての教え子で教育助手も務めたヒルダ・ウッド(Hilda Wood)と結婚した。同年、グリネルはクーパー鳥類学クラブの機関誌『ザ・コンドル』の編集長に就任し、以後1939年の死去まで33年間その職を務めた。1908年、アニー・モンタギュー・アレクサンダー(Annie Montague Alexander)の支援のもとにカリフォルニア大学バークレー校に創設された脊椎動物学博物館(MVZ)の初代館長に任命され、同年バークレーに移住した。1913年にスタンフォード大学で博士号を取得し、翌年UCバークレー動物学科の助教授に就任。1920年には正教授に昇格した[3]。
グリネルはMVZの館長として、カリフォルニア州を中心とした脊椎動物の網羅的な調査と標本収集を主導した。コロラド砂漠(1908年)、コロラド川(1910年)、ホイットニー山(1911年)、サンジャシント山脈(1913年)、シエラネバダ(1914〜1920年)、ラッセン山(1924〜1929年)など大規模な野外調査を実施し、生涯に10万点以上の標本と7万4千ページを超えるフィールドノートを蓄積した[4]。
晩年は保全活動にも注力し、カリフォルニア魚類・ゲーム法典(California Fish and Game Code)の策定に関与するとともに、ポイント・ロボス州立保護区やフランシス・ヘイスティングス自然史保護区(Frances S. Hastings Natural History Reservation)の設立に貢献した。1929〜1932年にはアメリカ鳥類学連合(American Ornithologists' Union)の会長、1937〜1938年にはアメリカ哺乳類学会(American Society of Mammalogists)の会長を歴任した[5]。
1939年5月29日、バークレーにて62歳で死去した。死後、MVZの学生と職員たちはグリネルの業績を称え継承するために「グリネル博物学者協会」(Grinnell Naturalists Society)を1940年に結成した。
学術的業績
グリネル・システム(野外記録法)
グリネルが確立した野外記録法「グリネル・システム」(Grinnell System、またはGrinnell Method)は、今日の脊椎動物生態学者の間で最も広く用いられる野外記録の標準手法である。このシステムは、少なくとも四つの構成要素からなる。
- フィールドノート
- (Fieldnote)
- 観察したその場での記録、また記録するための携帯用手帳。
- フィールドジャーナル
- (Field Journal)
- 毎夜フィールドノートを参照しながら日記(ジャーナル)形式でまとめる詳細記録。
- 種の記録
- (Species Account)
- 特定の種の行動や生態の詳細記述。
- 標本カタログ
- (Catalog)
- 採集した標本の採集場所・日時を記録した目録。
各記録は日付と採集地によって相互参照できる形式で書かれる[6]。
グリネルはこの記録法の意義について、1908年に「私たちのフィールドレコード(フィールドノート)は、おそらくすべての成果のなかで最も価値あるものになるだろう」と述べ、1910年には「この価値は、おそらく一世紀という長い年月が経過するまでは実現しないだろう。しかし将来の研究者は、私たちが今研究しているカリフォルニアと西部の動物相の状態に関する原記録にアクセスできるようになる」と予見した[7]。
この予言は現代に見事に実証された。2003年から始まった「グリネル再調査プロジェクト」(Grinnell Resurvey Project)において、UCバークレーのスティーブ・バイシンガー(Steve Beissinger)らの研究チームがグリネルの残したフィールドノートをもとにカリフォルニア各地の調査地点を再訪し、気候変動による鳥類・哺乳類・両生類の分布変化を明らかにする複数の論文を発表した[8]。
生態的ニッチ概念
グリネルは生態的ニッチ(ecological niche)概念の先駆的提唱者として生態学史に名を残す。1917年に発表した論文「カリフォルニア・スラッシャーのニッチ関係」("The Niche-Relationships of the California Thrasher"、The Auk、34巻)において、種の分布と生態的役割の関係を「ニッチ」という概念で体系的に論じ、この用語を生態学研究において実質的に定着させた先駆者とみなされている[9]。
グリネルのニッチ概念(「グリネリアン・ニッチ」)は、種が生息する生息地の条件(温度・降水量・植生など非生物的要因)と、その種の行動的適応の総体として種の存在を規定するという考え方に基づく。たとえばカリフォルニア・スラッシャーが低木のチャパラル植生という特定の環境でのみ繁殖・採餌・回避行動をとることを詳細に記述し、それが種の分布を決定することを示した[10]。
このグリネリアン・ニッチは、後にチャールズ・エルトン(1927年)やG・エヴリン・ハッチンソン(1957年)によって発展・精緻化され、現代の生態的ニッチ理論の三つの基本概念(グリネリアン・ニッチ、エルトニアン・ニッチ、ハッチンソニアン・ニッチ)の一つをなしている[11]。
カリフォルニア動物相の調査と保全
グリネルは、急速な人口増加と土地開発によってカリフォルニアの固有動物相が危機に瀕しつつあることをいち早く認識し、保全のための体系的な記録という使命を終生貫いた。MVZを通じて鳥類・哺乳類・爬虫類・両生類の分布・自然史・写真・フィールドジャーナルを網羅した詳細な記録を蓄積した[12]。
トレイシー・ストーラー(Tracy I. Storer)との共著論文「国立公園における野生生物という資産」("Animal Life as an Asset to National Parks"、Science、1916年)では、国立公園が純粋な自然環境の典範として科学と社会に価値をもつこと、また当時の国立公園局が実施していた捕食動物(オオカミ・コヨーテ・ピューマ)の駆除政策を批判し、生態系全体を保護する必要性を訴えた。この議論は、後の国立公園システムの保全哲学の形成に影響を与えた[13]。
生物多様性保全に関するグリネルの科学哲学については、20世紀初頭の生物学者として、保全を「感情」ではなく「事実に基づく一般化」によって行う立場を明確に主張したことが、後の研究者によって分析されている[14]。
命名された生物種
グリネルの業績を称え、多くの生物種がその名にちなんで命名された。鳥類9種・哺乳類4種・昆虫2種・爬虫類1種がグリネルの名を冠している。最初に命名されたのは1897年、鳥類学者ウィリアム・パーマーによってルビーキクイタダキ(Regulus calendula grinnelli)が記載されたときである[15]。
思想・考え方
グリネルは、フィールドワークの精密さと永続的な文書化への強いこだわりがあった。彼はフィールドワークを単なるデータ収集とは考えず、将来の研究者に向けた「時間を超えた贈り物」として位置づけていた。1910年に発表した論文のなかで、博物館の最大の価値は現在ではなく「おそらく一世紀後」に初めて実現すると明確に述べており、この予言は2003年以降のグリネル再調査プロジェクトによってまさに実証された。
生態的ニッチの概念については、種の分布を決定する要因として非生物的環境条件(気温・降水量・地形)と生物的行動適応の双方を重視し、種が単に「どこに生息するか」ではなく「なぜそこにしか生息できないか」という問いに答えようとした。この視点はその後の気候変動と種分布の研究においても根本的な枠組みを提供し続けている。
保全に関しては、感情的な自然保護論とは一線を画し、事実に基づく体系的な記録と科学的論証こそが長期的な保全の基盤になるという立場をとった。捕食動物の保護や生態系全体の保全の必要性を、科学的データにもとづいて公的機関に訴え続けたことは、現代の保全生態学の先駆けとして評価されている。
発言
グリネルの考えへの理解を助けるため、キーワードごとに分類した彼自身の説明等の発言を以下に引用する。
- 野外記録の価値
- 「私たちのフィールドレコードは、おそらくすべての成果のなかで最も価値あるものになるでしょう。どんな観察でも、記録できるだけ記録してください。どの観察が後々役に立つか、あらかじめ知ることはできないのですから。だから、すべてを記録してください!」
- (原文:"Our field-records will be perhaps the most valuable of all our results. …any and all (as many as you have time to record) items are liable to be just what will provide the information wanted. You can't tell in advance which observations will prove valuable. Do record them all!")[16]
- 未来の研究者へ
- 「この価値は、おそらく一世紀という長い年月が経過し、私たちの資料が安全に保存されているという前提のもとでなければ、実現しないでしょう。そして、その価値こそは──将来の研究者が、私たちが今働いているカリフォルニアと西部の、動物相の状態に関する原記録にアクセスできるということなのです。」
- (原文:"This value will not, however, be realized until the lapse of many years, possibly a century, assuming that our material is safely preserved. And this [value] is that the student of the future will have access to the original record of faunal conditions in California and the west, wherever we now work.")[17]
- 記録の永続性
- 「永久品質のインドインクと用紙を使えば、私たちのノートは200年後もアクセス可能なものとして残るでしょう。そして私たちは今、新世界の最も新しい地にいるのです──50年もすれば、人口は膨大なものになっているはずです。」
- (原文:"The India ink and paper of permanent quality will mean that our notes will be accessible 200 years from now. We are in the newest part of the new world where the population will be immense in fifty years at most.")[18]
- 博物館の使命
- 「私たちの努力が、ただ動物の残骸をできるだけ大量に蓄積するだけのものでないことは、ご覧のとおりです。それどころか、標本の収集だけに要する時間以上を、私たちが収集したものを生態学者にとっても分類学者にとっても永続的に価値あるものにするために費やしているのです。」
- (原文:"It will be observed, then, that our efforts are not merely to accumulate as great a mass of animal remains as possible. On the contrary, we are expending even more time than would be required for the collection of the specimens alone, in rendering what we do obtain as permanently valuable as we know how, to the ecologist as well as to the systematist.")[19]