ジョニー・スミス (ジャズ・ギタリスト)

From Wikipedia, the free encyclopedia

世界恐慌の時期、スミスの一家はアラバマ州バーミングハムから、移住し、いくつもの都市を経て、メイン州ポートランドにたどり着いた[1]

スミスは、あちこちの質屋で、調弦をする代わりにギターを弾かせてもらいながら、自学自習で演奏を学んだ。13歳のときには、他人にギターを教えていた。スミスにギターを習ったひとりが、新しいギターを買ったときに古いギターをスミスに譲ったが、これが彼が所有した最初のギターとなった[1]

スミスは、メイン州各地のダンス会場や、フェア、その他の演奏会場を回っていた地元のヒルビリー・バンド、アンクル・レムとザ・マウンテン・ボーイズ (Uncle Lem and the Mountain Boys) に加わった。一晩の演奏で、稼ぎは4ドルだった。彼は高校を退学し、この仕事に専念することにした[1]

やがてラジオから聞こえるジャズ・バンドの音楽に興味を増していったスミスは、徐々にカントリー・ミュージックから離れ、ジャズを演奏するようになっていった。18歳でザ・マウンテン・ボーイズを離れた彼は、エアポート・ボーイズ (Airport Boys) というバラエティ・トリオに加わった[2]:10

兵役

知り合いのパイロットから飛行機の操縦を学んでいたスミスは、軍用機のパイロットになりたいと考え、アメリカ陸軍航空隊に志願した[1]。しかし、彼は左眼に視覚障害があり、飛行訓練には不適合とされた[1][3]。そこで軍楽隊に入るか、整備士の学校に送られるか、と選択肢を示されたスミスは、軍楽隊に入った。スミスによると、このとき彼はコルネットアルバンの教則本を与えられ、2週間で必要な技量を身につけるよう指示されたが、その時点では楽譜すら読めなかった[1][3]。整備士学校には行くものかと決意したスミスは、軍楽隊長から勧められた通り、汲み取り式便所で2週間コルネットの練習に明け暮れ、試験に合格した[1][3]

ミュージシャンとしてのキャリア

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI