ブルターニュのブレクに生まれる。フランス革命勃発後も、ブルボン家とカトリック教会への忠誠を守る王党派であった。1793年にモルビアン県で国民公会に対する反乱を組織したが、早々に制圧された。その後、ヴァンデの反乱に身を投じ、ル・マンやサヴネの戦いに加わった。
アマブル=ポール・クータンによる肖像画(1827年)
モルビアン県に戻ったところで逮捕され、ブレストの監獄に収容されたが脱獄に成功。再び反革命闘争を開始した。敗れてイングランドに亡命すること数度におよんだが戦いをやめることはなく、プロヴァンス伯ルイ(のちのルイ18世)を担いだ陰謀を計画し続けた。1799年にはジャージー島のオルゲイユ山を定期的に訪れ、イギリス側のスパイ組織の指導者であるフィリップ・ドーヴェルニュと会見した[2]。のちに実権を掌握したナポレオン・ボナパルトからは、その能力と活力を見込まれて何度か接触の申し出があったが、いずれも拒否した。
1800年になると、公然と戦いを継続することは困難になったため、陰謀の画策に傾注した。12月、ピエール・ロビノー・ド・サン=レジャンが仕組んだ第一執政(当時)ナポレオン暗殺計画(サン=ニケーズ街の陰謀)に間接的に加わり、再度イングランドに逃れた。
1803年8月23日、ふくろう党のメンバーとともに軍艦ビンセホ号(スペイン海軍所属だが、当時イギリス海軍が鹵獲していた)でコタンタン半島のビヴィルに上陸[3]。マルメゾン城へ向かう途中のナポレオンを拉致もしくは殺害する計画で6ヶ月間官憲の目を逃れ続けたが、最終的に逮捕され死刑判決を言い渡された。赦免を嘆願することは一切なく、11人の同志とともにパリでギロチン刑に処された。群衆に「いまこそキリスト教徒の、王党派の、そしてブルトン人の死に様をパリ市民にご覧に入れるときだ」と叫んで処刑された[4]。
1814年に王政復古が実現すると、ルイ18世からフランス元帥の位が追贈された[5]。
カドゥーダルはラファエル・サバチニが1940年に発表した小説『カラバ侯爵』に主人公として登場する。そのほか、アレクサンドル・デュマの『三銃士』や『イエフの仲間』でも描かれている。