ジョン・バロウズ (米国作家)
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ジョン・バロウズ | |
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| 生誕 | 1837年4月3日(189歳) |
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1921年3月29日(83歳没) カリフォルニア州発ニューヨーク州行きの列車内 |
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| 職業 | ナチュラリスト(自然観察家)、随筆家 |
| 活動期間 | 1860年 – 1921年 |
| 著名な実績 | 自然随筆の確立、自然観察文学の先駆者 |
| 配偶者 | アーシュラ・ノース(1857年–1917年、死別) |
| 子供 | ジュリアン・バロウズ(長男) |
ジョン・バロウズ(John Burroughs、1837年4月3日 – 1921年3月29日)は、アメリカ合衆国のナチュラリスト(自然観察家)・ネイチャーライティング作家・随筆家であり、自然保護運動においても活躍した人物である[1]。
彼の著作集は生前から死後にかけて全23巻に及び[2]、自然随筆(ネイチャーエッセイ)というアメリカ文学の一形式を確立した先駆者として高く評価されている[3]。伝記作家エドワード・ルネアンの言葉を借りれば、バロウズの真骨頂は科学的な自然研究者としてではなく、「自然界に対する自らの独自な知覚を記録する義務を担った文学的ナチュラリスト」としての在り方にあった[4]。
バロウズはウォルト・ホイットマンの親友であり最初の伝記作家でもあり、セオドア・ルーズベルト大統領、ジョン・ミューア、トーマス・エジソン、ヘンリー・フォードらと深く交流した。
生い立ちと青年期
バロウズは1837年4月3日、ニューヨーク州デラウェア郡ロックスベリー近郊のキャッツキル山地にある家族の農場で生まれた。シャーンシーとエイミー・ケリー・バロウズ夫妻の10人の子供の7番目であった[5]。幼少期から山地の自然の中で多くの時間を過ごし、オールドクランプ山の斜面で鳥のさえずりに耳を傾け、後に多くのエッセイで描くことになるスライドマウンテンを遠望して育った。
父親は地元の学校が提供する基礎教育で十分と考えており、進学費用の援助を拒んだ。そのため、バロウズは17歳で家を出て、教師として働きながら学資を稼いだ。1854年から1856年にかけて、クーパーズタウン・セミナリーなどの高等教育機関での学習と教職とを交互に続けた。この時期にウィリアム・ワーズワースとラルフ・ウォルドー・エマーソンの作品に深く傾倒した[6]。1857年9月12日、アーシュラ・ノース(1836–1917)と結婚した。
文筆業の開始とホイットマンとの出会い
バロウズの文筆家としての最初の転機は1860年の夏に訪れた。当時まだ新しい雑誌であった『アトランティック・マンスリー』が、彼の随筆「表現について(Expression)」を採用したのである。編集者ジェームズ・ラッセル・ローウェルはこのエッセイがエマーソンの作風に酷似していたため、当初は剽窃を疑ったほどであった[7]。
1863年、バロウズは教職を辞してワシントンD.C.の財務省(通貨局)の事務員職に就いた。そこで26歳の彼は、18歳年長の詩人ウォルト・ホイットマンと出会い、深い友情を結んだ。後にバロウズはこの出会いについて「私が世界中の誰よりも負債を負っている人物だ。彼は私を温めてくれた。考えるべき事柄を与えてくれた。寛大さ、懐の深さ、そして包容力を教えてくれた」と記している[8]。ホイットマンはバロウズが自然観察の文章と哲学・文学的随筆の両面を発展させるよう励ました。
ハドソン川渓谷での生活と確立期
1867年、バロウズは『ウォルト・ホイットマン——詩人と人間についての覚書(Notes on Walt Whitman as Poet and Person)』を出版した。これはホイットマンに関する最初の伝記・批評書であり、ホイットマン本人が匿名で大幅に改訂・編集に関与したことが知られている[9]。1871年、最初の自然随筆集『ウェイク・ロビン(Wake-Robin)』をボストンのハード&ハウトン社から出版した。このタイトルはホイットマンが命名したものである。
1873年1月にバロウズはワシントンを離れ、ニューヨーク州に移った。翌年、ハドソン川西岸のウェスト・パーク(現エソーパス町の一部)に9エーカー(約3.6ヘクタール)の農場を購入し、「リバービー(Riverby)」と呼ばれる邸宅を建てた。そこでブドウ栽培などの農業を営みながら執筆を続けた。1880年代まで連邦の銀行検査官も兼務した[10]。
1895年には、リバービーから約1マイル離れた場所に丸太小屋「スラブサイズ(Slabsides)」を建設した。この一室の小屋で彼は代表的なエッセイの多くを執筆し、ルーズベルト大統領、ジョン・ミューア、ヘンリー・フォードら著名な訪問者を迎えた[11]。
晩年と死
バロウズは晩年も精力的に執筆を続け、70代に入ってからも哲学的かつ内省的な随筆を発表し続けた。1901年には医師のクララ・バラス(Clara Barrus、1864–1931)と知り合い、彼女はバロウズの晩年の同伴者となり、死後には文学遺言執行者として彼の作品を世に出す役割を果たした[12]。
1921年春、カリフォルニアで冬を過ごした帰路、列車の中でバロウズは息を引き取った。3月29日のことで、誕生日の4日前であった。享年83歳。バロウズの死は全米で大きく報道され、ニューヨーク・タイムズ紙は紙面を一面割いてその業績を称え、ニューヨーク州議会は審議を休会して追悼した[13]。
学術的業績・著述活動
自然随筆というジャンルの確立
バロウズは、アメリカにおける「自然随筆(ネイチャーエッセイ)」という文学形式の確立者として広く認められている。ヘンリー・デイヴィッド・ソローやエマーソンの流れを汲みながらも、バロウズは遠方の壮大な大自然よりも、身近な自然環境の中に偉大さを見出し、それを丁寧に描写するスタイルを確立した。彼の観察の特徴は、純粋に科学的な客観性ではなく、文学的感性と哲学的思索を組み合わせた独自の視点にあった[14]。彼のエッセイは学校の教科書にも採用され、一般大衆にも広く読まれた。
「ネイチャー・フェイカーズ論争」
1903年、バロウズは『アトランティック・マンスリー』誌に「本物の自然史と偽物の自然史(Real and Sham Natural History)」という論文を発表し、アーネスト・トンプソン・シートン、チャールズ・G・D・ロバーツ、ウィリアム・J・ロングらの動物文学作家を「ウッドランドのイエロー・ジャーナリズム」と厳しく批判した。これがネイチャーフェイカーズ論争(w:Nature fakers controversy、自然捏造者論争とも)と呼ばれる文学的・科学的論争の発端となった。この論争は最後には、セオドア・ルーズベルト大統領まで参戦するなど4年間にわたって続き、自然観察文学における正確性と誠実さの問題を問い直す大きな議論となった[15][16]。
ハリマン・アラスカ探検
1899年、鉄道王E・H・ハリマンの資金援助によるアラスカ沿岸探検隊において、バロウズは公式の記録者(ヒストリアン)として参加した。ジョン・ミューアをはじめとする40人以上の科学者・ナチュラリストとともに数ヵ月にわたってアラスカ沿岸を探索したが、生来のキャッツキルへの郷愁を抑えられず、故郷を懐かしみ続けた[17]。
ルーズベルト大統領との交流
1903年には、セオドア・ルーズベルト大統領とともにイエローストーン国立公園を訪れ、そのキャンプ旅行の記録を『ルーズベルトとのキャンプと遠足(Camping and Tramping with Roosevelt)』(1907年)として出版した。ルーズベルトはバロウズのエッセイの愛読者であり、自然保護思想においても共鳴する面が多かった[18]。
主な著作
- Notes on Walt Whitman as Poet and Person (1867)(ウォルト・ホイットマン——詩人と人間についての覚書)
- Wake-Robin (1871)(ウェイク・ロビン)
- Winter Sunshine (1875)(冬の陽光)
- Birds and Poets (1877)(鳥と詩人たち)
- Locusts and Wild Honey (1879)(イナゴと野生の蜂蜜)
- Pepacton (1881)
- Fresh Fields (1884)(緑の野)
- Signs and Seasons (1886)(季節のしるし)
- Indoor Studies (1889)(室内の研究)
- Riverby (1894)(リバービー)
- Whitman: A Study (1896)(ホイットマン——研究)
- The Light of Day: Religious Discussions and Criticisms from the Naturalist's Point of View (1900)(昼の光——ナチュラリストの視点からの宗教論)
- Squirrels and Other Fur-Bearers (1900)(リスとその他の毛皮動物)
- John James Audubon (1902)(ジョン・ジェームズ・オーデュボン)
- Literary Values and Other Papers (1902)(文学的価値とその他の論考)
- Far and Near (1904)(遠くと近く)
- Ways of Nature (1905)(自然の道)
- Camping with Roosevelt (1906); Camping and Tramping with Roosevelt (1907)(ルーズベルトとのキャンプ)
- Bird and Bough (1906)(鳥と木の枝、詩集)
- Leaf and Tendril (1908)(葉と蔓)
- Time and Change (1912)(時と変化)
- The Summit of the Years (1913)(年月の頂点)
- The Breath of Life (1915)(生命の息吹)
- Under the Apple-Trees (1916)(リンゴの木の下で)
- Field and Study (1919)(野原と研究)
- Accepting the Universe: Essays in Naturalism (1920)(宇宙を受け入れること)
- Under the Maples (1921、死後出版)
- The Last Harvest (1922、死後出版)
思想・考え方
バロウズには、「身近な自然の中にこそ真理と偉大さがある」という信念があった。彼は遠方の壮大な景観を求める傾向を批判し、日常のありふれた自然、庭の鳥や野の花、身近な野山の中に、宇宙の神秘と生の意味が宿っていると説いた。「偉大な機会はあなたのいる場所にある(The great opportunity is where you are)」というのが彼の人生哲学の要諦であった[19]。
宗教と科学に関しては、バロウズは伝統的なキリスト教神学を批判しながらも、宇宙と自然に対する畏敬の念を「宗教的感情」として肯定するという、独自の「ナチュリスト」的立場を取った。彼は「神学は過ぎ去るが、宇宙の広大さと神秘の前に感じる畏敬と崇拝の感情は残る」と述べ、既成宗教の教義よりも自然との直接の交わりに真の信仰の源泉を見た。晩年の日記(1910年2月18日付)には「宇宙の喜びと、それに対する深い好奇心、それが私の宗教だった(Joy in the universe, and keen curiosity about it all — that has been my religion)」と記している[20]。
また、バロウズは自然観察における誠実さと科学的正確さを文学的価値と同等に重んじた。動物の行動を人間的に誇張・美化することを「自然界のイエロージャーナリズム」と批判し、自然をありのままに観察し記録することが、読者に真の感動を与えると主張した[21]。
発言
バロウズの思想の理解を助けるため、キーワードごとに分類した彼自身の説明等の発言を以下に引用する。
- 身近な自然の価値
- 「足元を見てください。あなたは自分が思うよりも、常に神聖なものや自らの力の真の源泉の近くにいるのです。遠くにある難しいものへの憧れは、人を欺きます。真の大きな機会は、あなたが今いる場所にあるのです。自分の場所と時間を軽んじないでください。どの場所も星の下にあり、どの場所も世界の中心なのですから。」[22]
- (原文:"Look underfoot. You are always nearer to the true sources of your power than you think. The lure of the distant and the difficult is deceptive. The great opportunity is where you are. Don't despise your own place and hour. Every place is the center of the world.")
- 科学と宗教
- 「科学は迷信と軽信を打ち砕きます。しかし、精神のバランスのとれた人間にとって、科学はむしろこの驚異に満ちた宇宙の前に感じる畏敬と崇拝と親近感の念を深めてくれるものなのです。」[23]
- (原文:"Science kills credulity and superstition, but to the well-balanced mind it enhances the feeling of wonder, of veneration, and of kinship which we feel in the presence of the miraculous universe.")
- 信仰の本質
- 「人は自分が信じることの真偽によって救われるのではなく、その信仰の誠実さ、すなわちそれが自分の内なる性質とどれほど調和しているかによって救われるのです。……宗教とは感情であり、霊感であり、無限なるものへの感覚であって、いかなる信条にも——あるいはいかなる信条がなくても——根ざすことができるものです。」[24]
- (原文:"A man is not saved by the truth of the things he believes, but by the truth of his belief — its sincerity, its harmony with his character... Religion is an emotion, an inspiration, a feeling of the Infinite, and may have its root in any creed or no creed.")
- 自然観察の喜び
- 「普遍的な要素だけで十分だと感じること、空気と水に清々しさを覚え、朝の散歩や夕べのそぞろ歩きに心が洗われ、夜空の星に胸を震わせ、春の野鳥の巣や野の花に喜びを覚えること——これらこそが、シンプルな生き方がもたらす報いなのです。」[25]
- (原文:"To find the universal elements enough; to find the air and the water exhilarating; to be refreshed by a morning walk or an evening saunter... to be thrilled by the stars at night; to be elated over a bird's nest or a wildflower in spring — these are some of the rewards of the simple life.")
- 日々の充実
- 「今でも一日が短すぎると感じています。考えたいことが、歩きたい場所が、読みたい本が、会いたい友人が、こんなにも多いのですから。長く生きるにつれて、私の心はますます、この世界の美しさと驚異に向かっていきます。」[26]
- (原文:"I still find each day too short for all the thoughts I want to think, all the walks I want to take, all the books I want to read, and all the friends I want to see. The longer I live, the more my mind dwells upon the beauty and the wonder of the world.")
顕彰・遺産
バロウズの死後、1921年に「ジョン・バロウズ協会(w:John Burroughs Association)」が設立された。同協会はニューヨーク州エソーパスにある「ジョン・バロウズ・サンクチュアリ(John Burroughs Sanctuary)」——スラブサイズを囲む約170エーカーの土地——を維持管理するとともに、毎年「優れた自然史書の著者」に対して「ジョン・バロウズ・メダル(w:John Burroughs Medal)」を授与している[27]。
アメリカ国内では12校以上の学校がバロウズの名を冠しており、ワシントンD.C.、ミネアポリス、ミルウォーキー、ロサンゼルス、バーバンク(カリフォルニア州)、セントルイス(ミズーリ州)など各地に「ジョン・バロウズ校」が存在する。また、マウント・レーニア国立公園内の「バロウズ山(w:Burroughs Mountain)」も彼にちなんで命名されている[28]。