スコットランドのベリックシャー(英語版)に生まれた。Dunsで学んだ後、エディンバラ大学に入学して、神学を学ぶが、医学に転じた。医学、化学の教授のウィリアム・カレンに才能を認められ、子供の家庭教師として雇われ、研究の継続のための援助を受けた。1778年ころから脳と筋繊維を使った、生体の刺激に対する反応の研究をはじめた。この研究を通じて当時の医療に対して批判的な考えをもち、カレンを含む大学の教授と対立した。1780年に『医学原論』(Elementa Medicinae)を出版し、自らの医療理論を主張した。「ブラウニズム」と呼ばれるブラウンの医療理論はドイツなどのヨーロッパ大陸で広まった。1786年により待遇のいい仕事を求めてロンドンに移ったが、程なく死亡した。
1795年にブラウンの家族の生活を助けるために、カレンの尽力で有名な医師、トーマス・ベドーズ(Thomas Beddoes)による『医学原論』の解説本が出版された。1804年には息子、ウィリアム・カレン・ブラウンによって評伝が出版された。