ジョン・ブラックウッド・マキュアン
From Wikipedia, the free encyclopedia
マキュアンはホーイックに生まれた。グラスゴーにおいて最初の手ほどきを受けた後、彼はロンドンの王立音楽アカデミーでエベニーザー・プラウト、フレデリック・コーダー、トバイアス・マッセイに師事した[1]。その後スコットランドへと戻った彼は、グリーノックやグラスゴーで合唱指導者、教師を務めた。彼は王立音楽アカデミーに招かれて1898年から1924年には和声学と作曲の教授となり、1924年から1936年には学長の地位に就いた。
マキュアンはコーダー、マッセイと共同で1905年に英国作曲家協会を設立し[1]、また音楽家団体法人の代表も務めた。
彼は1931年にナイトに叙されており[2]、1948年にロンドンにおいて80年の生涯を閉じている。
マキュアンにはキャサリン(Catharine)という妻がおり、2人にはジョン(John 作曲家)とアナベル(Annabel)という子どもと、孫のジョン(作家)、ジャック・エチュ(Jacques Hetu 作曲家)、ソフィア・ルイズ(Sofia Ruiz ヴァイオリニスト)、ジョゼフ(Joseph 作曲家)そしてアラステアー・マキュアン(Alastair-)がいた。曾孫の中で著名な人物には、モントリオールのステファン・テトロール(Stephane Tetrault チェリスト)とロンドンのエムジュ・マキュアン(ヴァイオリニスト)がいる[3]。
音楽
マキュアンは故郷ガロウェイに関する管弦楽作品で最も知られる。「A Solway Symphony」(1909年)、「Hills o' Heather」や「Where the Wild Thyme Blows」(1918年)である。彼の「Three Border Ballads」は『Grey Galloway』(1908年)、『The Demon Lover』(1906年-1907年)、『Coronach』(1906年)がある。他の作品にはジョン・ミルトンの頌歌「On the Morning of Christ's Nativity」につけた同名の讃美歌がある。彼は1901年にライオネル・ターティスの求めに応じてヴィオラ協奏曲を作曲しているほか、19曲の弦楽四重奏曲(うち、番号が振られているのは17曲)を50年以上(1893年-1947年)にわたって書き続けた。
マキュアンは「変化話法 inflected speech」という用語を生み出し、1943年にマーガレット・フォーブズ(Margaret Forbes)に基づいて作曲した「変化する声とピアノのための14の詩」にこの方法を適用した。これはアルノルト・シェーンベルクのシュプレッヒゲザングと同等のものである[1]。
マキュアンの音楽にはスコットランドの民族音楽、シベリウス、ワーグナーからの影響が顕著である。例えば、「A Solway Symphony」の第3楽章では『ジークフリートのラインの旅[注 1]』からの強い影響が見られる。しかし、彼の音楽の大半には他の作曲家の影響をさほど認めることは出来ない。彼はスコットランドの民族音楽を取り入れようとした、スコットランドのルネッサンス[注 2] の先駆者であったと思われるが、その民族音楽への接し方は感傷的なものではなかった。
しかしながら、マキュアンは多くの音楽作品を手がけており、記録に残っていながらも演奏される機会のないまま無視された状態となっている。グローヴの事典(1954年版)では、彼は「同時代のイギリスの中で、おそらく最もひどく無視されている作曲家」と記されている。しかし、自分の作品に対して聴衆の関心を向けさせることに全く無頓着だった彼自身も、このような状況に陥った原因の一端を担っているのである[1]。
1990年代初頭に、主にモーレイ・ウェルシュ(Moray Welsh)の演奏によってなされた2つの録音によって、マキュアンは新しい世代の聴衆に知られ始めている。より最近では、Chilingirian四重奏団が彼の弦楽四重奏曲から10曲を録音した。また、1990年代には彼の孫息子のジョセフと曾孫娘のエムジュが、ヨーロッパや北アメリカを巡るオーケストラや四重奏団のツアーにおいて彼の知られざる作品の多くを演奏して周り、彼の楽曲の知名度向上に貢献した。後期の弦楽三重奏曲にも未録音のままとなっているものがある。
弦楽四重奏曲第2番と交響曲イ短調
マキュアンの「交響曲 イ短調」(1892年-1898年)は、出版社が原曲の形での出版を拒否しながらも、弦楽四重奏としてであればより好評を得られやすいだろうと彼に伝えていた。彼は助言を受け入れて言われたとおりに改定を施し、出来上がった「弦楽四重奏曲第2番 イ短調」はよく知られる作品となった。
近年に至るまでこの曲は元となった交響曲の形ではなく、弦楽四重奏曲として演奏されるのが常であった。しかしながら、指揮者でチェリストのアラスデアー・ミッチェル(Alasdair Mitchell)が最近になって交響曲としての復活演奏を行った。彼はエディンバラ・セカンダリー・スクール管弦楽団と泊り込みの作業で準備を行い、2008年8月16日にエディンバラ・セントラル・ホールでこれを演奏した。
弦楽四重奏曲「Threnody」は、2007年にグラスゴーを拠点とする音楽家のゴードン・リグビー(Gordon Rigby)によって弦楽オーケストラ編曲がなされ、スコティッシュ・フィルハーモニック管弦楽団によって2回取り上げられている。総譜およびパート譜はScottish Music Centreより入手可能である。