ジョン=エティエンヌ・シャポニエール
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ジョン=エティエンヌ・シャポニエール John-Étienne Chaponnière | |
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| 生誕 |
Jean-Élie Chaponnière 1801年7月11日 ジュネーヴ |
| 死没 |
1835年6月19日 モンネティエ=モルネクスかジュネーヴ |

ジョン=エティエンヌ・シャポニエールことジャン=エリー・シャポニエール[1](John-Étienne Chaponnière、本名:Jean-Élie Chaponnière、1801年7月11日 - 1835年6月19日)はスイス生まれの彫刻家、画家、版画家である。イタリアやフランスで修行した。エトワール凱旋門の装飾彫刻の制作をした一人である。
ジュネーヴの商人の家に生まれた。家族はシャポニエールを商売人にさせたがったが、14歳で、ジュネーヴの美術協会が運営する絵画学校に入学した[2]。4年か5年間、時計の外部の彫金技術のクラスで学んだ後、教師の勧めで彫刻に移った。20歳の時、美術協会の会長にパリで学ぶことを勧められて、パリに移り、 自由美術学校(École gratuite de dessin、後の国立高等装飾美術学校)で学び、1824年から彫刻家のジェームス・プラディエの工房で働いた。
1827年からナポリで活動し、1829年からフィレンツェのロレンツォ・バルトリーニのもとで修行し、その後ローマでも修行した。1827年には作品がジュネーヴの美術館(Musée Rath)に買い上げられ、ジュネーヴの美術協会の名誉会員に選ばれた。ジュネーブでしばらく活動した後、パリに移り、1831年にパリで発表した作品も評価を得て、他の多くの彫刻家とともにエトワール凱旋門の装飾彫刻の制作者に選ばれ、「ピラミッドの戦い」を描いたレリーフを制作した。その後もパリのサロンに作品を出展したが、結核を悪化させて、1835年に33歳で亡くなった。