ジョヴァンニ・レニカ
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ロンバルディアのモンティローネで生まれた。建築家のルドルフォ・ヴァンティー二(Rodolfo Vantini: 1792-1856) の弟子になり、ヴァンティー二に1828年に有名な画家のジョヴァンニ・ミリアーラに推薦され、ミリアーラが教授を務めるミラノのブレラ美術アカデミーで学び、同時期の学生には風景画家のアンジェロ・インガンニ(1807-1880)がいる。
ブレシアの美術学校(Ateneo di Brescia)主催の展覧会でデビューし、1835年に名誉会員に選ばれた。1839年にレナート・ボロメオ伯爵とともに、ギリシャ、リビア、エジプト、パレスチナ、イスラエル、ヨルダン、レバノン、トルコを旅し、スケッチを描き、ブレシアに送った。
「1848年革命(Primavera dei popoli)」のためにスイスに亡命し、フランソワ・ディデー(Francois Diday: 1802-1877)やアレクサンドル・カラム(Alexandre Calame: 1810-1864)といった スイスの芸術家と交流した[1]。イタリアに戻った後、1853年にブレラ美術アカデミーの評議員に選ばれ、この間、ローディの女子学校で教え、個人美術教師としても働いた。
1879年からブレシアに住み、ブレシアの美術館(Pinacoteca Tosio Martinengo)の館長に任じられ[2]、ブレシア大学に素描や絵画、絵画道具を寄贈した
1884年にブレシアで亡くなった。未亡人の寄贈によってブレシア大学のコレクションは充実した[3]。
レニカが教えた学生にはガエターノ・ファサノッティ(Gaetano Fasanotti: 1831-1882)[4]やアントニオ・タリアフェッリ(Antonio Tagliaferri: 1835-1909)がいる。