スタニスワフ・コジエロフスキ
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ドイツ帝国ポーゼン州トレメッセン(現在のポーランド、ヴィエルコポルスカ県チェメシュノ)に生まれた。カトリックの聖職者であり、1919年にポズナン大学 (現在のアダム・ミツキェヴィチ大学)の4人の共同創設時のひとりとなり、両大戦間期には人文学部の准教授を務め、1938年以降は名義上の教授となった。さらに、ポーランド学習院(ポーランド学士院の前身のひとつ)の会員であった。
大ポーランド (ヴィエルコポルスカ県に重なる領域概念) やポメラニアの歴史と、それに関連して紋章学や固有名詞学などを専門としていた。
ポズナンに拠点を置き、1945年4月7日に最初の会合を開いた「民間スラヴ語地名復興委員会」 (Komisji dla spraw Przywrócenia Nazw Słowiańskich na Przyodrzu) の委員長となり、東 (下) ポメラニア (ポモージュ) とシレジア (シロンスク) について、鉄道駅などの地名のポーランド語化作業に当たった。この動きは、中央政府による地名決定委員会の取り組みに先んじるものであったが、コジエロフスキらが提案したポーランド語地名は、必ずしも地名決定委員会には採用されず、さらに別の名称が後から決定された例もかなりあった[注釈 1]。
コジエロフスキの著作で最も影響力が大きかったのは、『Atlas nazw geograficznych Słowiańszczyzny Zachodniej (西スラヴ圏の地名地図帳)』 (全2巻[1]: 1934年 - 1937年) で、現在のポーランド北西部とドイツ北東部の地名の歴史をカバーしたものであった。第二次世界大戦後、この地図帳は、ポーランドの地名決定委員会が旧ドイツ東部領土の場所や集落のポーランド語名称を決定する際に、しばしば典拠として用いられた[2]。