スタンダルト (ヨット)

From Wikipedia, the free encyclopedia

スタンダルト
マルティ
Shtandart1914Sevastopol.jpg
スタンダルト
艦歴
スタンダルト Штандарт
艦種皇室ヨット英語版
起工1893年10月1日
バーマイスター・アンド・ ウェイン英語版
進水1895年3月
竣工1896年9月
所属 ロシア帝国
退役1918年
マルティ Марти
復活1936年
艦種機雷敷設艦
所属 ソ連海軍赤旗勲章受章バルト艦隊
解体1963年
要目
艦種皇室ヨット
艦級「スタンダルト」級
排水量5557 t
全長128 m
全幅15.8 m
喫水6.00 m
機関三連成蒸気機関2基
速力21.18 kn
乗員355 名

スタンダルトロシア語: Штандарт)は、ロシア帝国皇室ヨット英語版である。最後のロシア皇帝ニコライ2世が所有していたヨットの中でも最大規模のものであった。第一次世界大戦の勃発後に乾ドック入りしたが、1936年機雷敷設艦となり、第二次世界大戦中はレニングラード防衛で重要な役割を担った。

皇室ヨット

「スタンダルト」はロシア皇帝アレクサンドル3世の命を受けてデンマークの造船所バーマイスター・アンド・ ウェイン英語版1893年10月1日から建造を開始した[1]1895年3月21日に進水[2]1896年9月に竣工した[3]

マホガニーのパネルが敷き詰められ、クリスタルシャンデリアベルベットカーテンが下げてあった。「世界で最も優雅な航海船」と言われたほどであった[4]。アレクサンドル3世の後を継いだニコライ2世を強く意識したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はほぼ同時期に建造した豪華な皇室ヨット「ホーエンツォレルン英語版」を好んで利用して対抗した[5]

皇帝一家は毎年6月の2週間はこのヨットに乗ってフィンランド周辺の海岸でのんびりとクルージングを楽しみ、ニコライ2世もこれを最も気に入っていた。ヨットで島々の間を巡航し、日暮れ時には入り江に停泊した。そして、朝に目覚めた時に澄んだ青い海、黄色い砂浜、赤色の花崗岩の島々、緑が茂る森を見渡せるようになっていた[6]。皇帝一行用の礼拝堂や大広間だけでなく、乗船する士官、機関部員、火夫水夫執事、船室係、メイドブラスバンドオーケストラのメンバー、護衛小隊全員のための居住空間もあった[7]。士官のうちの何人かは皇帝一家の食卓に招待された[7]。ニコライ2世はビリヤードドミノを士官と一緒に楽しみ、アレクセイは遊び仲間と一緒に駆け回り、4人の大公女達(OTMA)は若い男性に囲まれて各所に散在した[4]坐骨神経痛を患っていたアレクサンドラ皇后は船から離れることが少なく、裁縫をしたり、手紙を書いたりして過ごした。娘達が大きくなると交替でアレクサンドラの話相手になったが、アンナ・ヴィルボヴァ英語版が加わった1907年からは二人だけで多くの時間を過ごすようになった[7]閣僚や警察官は乗船を許されず、毎日サンクトペテルブルクから特使が来て報告書などの文書を届けた[7]

1907年にフィヨルドを巡航中に岩に衝突して座礁した。損傷を受けたがヨットは沈まず、すぐに修理された[4]

皇帝一家が第一次世界大戦の引き金となるサラエボ事件のニュースを知ったのはこのヨットの中であったが、ニコライ2世も首都に残った閣僚達も戦争の導火線になるとは考えなかったので、そのまま滞在を続けた[8]

機雷敷設艦

第一次世界大戦の勃発後に乾ドック入りしたが、ソ連海軍機雷敷設艦「マルティ」としてレニングラードに配置された[4]第二次世界大戦中はバルト海機雷を敷設し、ドイツ海軍の侵攻からレニングラードを防衛するために、沿岸で砲撃を行った[4]

第二次世界大戦後は航海練習船になり、1957年に「オカ」に船名が改名された。1963年に廃棄されるまでエストニアタリンでその役割を務め続けた[4]

皇室ヨット時代の写真

アナスタシアと士官(1912年)
マリア皇太后とニコライ2世、OTMA
士官とダンスをするタチアナ
フランス語家庭教師ピエール・ジリヤールとアレクセイ(1914年)
ヤルタ付近を巡航する『スタンダルト』号(1898年)
寝室
食堂

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI