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スター交歓図裁判

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スター交歓図裁判(スターこうかんずさいばん)とは、1976年6月23日に当時の人気アイドル、歌手らが、雑誌に掲載された記事内容をめぐって、雑誌社の編集長らを相手取り、名誉毀損で告訴した裁判である[1][2]。

各媒体が最も注目し大きく報道した部分は、当時人気絶頂のスターたちが次々と召喚され証言台に立った1979年3月から7月の法廷で、芸能人が連名でマスコミを相手に訴訟を起こした初めての例でもある[3][4]。

1976年6月に発行された小説誌の『月刊問題小説』(徳間書店)の7月号に、著者として"本誌特別取材班"が執筆という形で「決定版!スター交歓図 悦楽へのスタート 処女篇」という記事が挿絵付きで掲載された。その記事はタレント29名が実名で登場して、それぞれの交友関係が生々しく扇情的に描かれ、さらにそれを後追いするような形で『週刊女性自身』(光文社)の6月24日号が「スゴーイ性を書かれたスターたちの大混乱!」という見出しで記事を転載した。これらの記事に対して6月23日、8人の歌手やタレントが東京地方検察庁に『問題小説』の編集長Sと『女性自身』の編集長代理Mに対して、記事は事実無根で著しく名誉を傷つけられたとして告訴状を提出した。

訴えたのは桜田淳子、森進一、西川峰子(現在仁支川峰子)、山口百恵、黒部幸英、野口五郎、西城秀樹、南沙織、都はるみ、あいざき進也の10名で、レコード会社、芸能事務所60社が加盟している日本音楽事業者協会(以下音事協)が提出を代行した。この内、都はるみ、あいざき進也の2名に関しては東京地方検察庁が名誉棄損には当たらないと判断して訴えは退けられて、残り8名の分が受理され名誉棄損を問う刑事訴訟と、損害賠償を請求する民事訴訟が同時に争われた。

音事協の顧問弁護士は「『問題小説』だけなら話し合いで解決するつもりだったが、『女性自身』まで記事を転載したから動いた。告訴することで野放しになっている芸能記事の姿勢に歯止めをかけたい。今回は大半が捏造記事で固められており、タレントの地位を守るためにも訴訟を起こした」と語り、専務理事は「今まで我々は泣き寝入りをしてきた。相手側が謝罪をした場合でも、記事の大きさに比べて謝罪文は、ほんのちっぽけなものだ。今回の記事については限界を超えた酷いものであるとの判断を示し、ここらでけじめをつける必要性を感じたので、この訴訟は刑事上の問題として取り組む。訴訟を起こした8人のうち未成年タレント (記事が出た時点の年齢) が4人もおり、彼らの将来を考えても事は大きい。両社には取材拒否も通告し、音事協所属のタレントの写真も今後一切使わせない」と意見を出した。これを受けて徳間書店と光文社は音事協に謝罪文を提出したが、告訴は取り下げない姿勢で臨んだ[1][2][5][6]。

裁判では、検察側は「有名人には有名税として、ある程度やむを得ないが今回は全く虚偽で表現も露骨。タレントは様々な付加価値がついているのは事実だが公人ではなく、その真偽を暴くことに公益性はない」と主張、それに対し被告側は「名誉毀損罪は親告罪で、告訴委任状の筆跡が本人たちのものと違うし、告訴はプロダクションの圧力によるもので、本人たちの意志ではないから控訴権の乱用となる。タレントの特性から言って記事には公共性があるし、公益を図る目的で書かれた記事は内容が事実であれば罪に問われない。記事内容を事実と信じるに足る理由があるので、報道の原則からすれば起訴は不当」と反発、真っ向から対立した[1][2][7][8]。

民事訴訟の方は1977年12月に徳間書店と光文社が謝罪文を新聞紙上に掲載、損害賠償金を両社が1千万円ずつ、計2千万円(この金はタレント側が日本赤十字社、日本陸上競技連盟に寄付)をタレント側に支払い和解が成立し、裁判は刑事訴訟の方のみで進んだ[9][4]。

なお、『問題小説』では次号の記事の第2弾として「悦楽へのスタート 初心者篇」を予定していたが、騒動を受けて掲載は見送る判断となり、『女性自身』は、その後この裁判の経過を含む関連記事は一切掲載しなかった[3]。

訴訟の対象となった記事

裁判

脚注

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