ステイン・アライヴ
ビージーズの楽曲 (1977)
From Wikipedia, the free encyclopedia
解説
ビー・ジーズのマネージャーであるロバート・スティッグウッドは、彼が計画している映画のために曲を制作するようビージーズへ要請した[1]。この時点では映画は制作の初期段階で、名前もついていなかった。ビー・ジーズは、パリのスタジオにて数日間で「ステイン・アライヴ」を制作した。なお当時は有名なサウンドトラックは税金対策のためフランスで録音されているものが多かった。
ドラマーのデニス・ブライオンの母親がセッションの最中に亡くなったため、ビージーズは代替メンバーを探した。しかし、フランスのこの地域で代わりのドラマーが見つからず、ドラムマシーンを使用することになったが、グループにはまだ満足できなかった。そこで、デニス・ブライオンの演奏ですでに録音された「恋のナイト・フィーバー」のドラムトラックを聴いた後、グループとエンジニアのアルビー・ガルテンは、その曲の2小節を別々のトラックに再録音(いわゆるドラムループ)し、「ステイン・アライヴ」のセッションで使用した。これによりこの曲全体を通して変わらないリズムとなっている。
なお、グループはジョークとしてこの曲のドラマーのクレジットを"Bernard Lupe"(セッションドラマーとして知られるバーナード・パーディーの名前をもじったもの)としたが、このドラマーが実在しないことが判明するまで、このドラマーが何者かということについてしばし話題となっていた。
この曲は、当初シングルとして発売される予定はなかった。しかし、ラジオ局にリクエストが殺到したこともあり、サタデー・ナイト・フィーバーのサウンドトラック発売の1ヶ月後である1977年12月中旬にリリースされ、翌年2月には全米シングルチャートで1位を記録し、そのまま4週間チャート1位を維持した。しかし、イギリスでは全英シングルチャートで最高4位に留まった[4]。その他にオーストラリア、カナダ、イタリアなど数多くの国で1位を獲得し、アメリカ合衆国だけで400万枚近い売り上げを記録した。
「ステイン・アライヴ」から1位の座を奪ったのは、彼らの弟であるアンディ・ギブの「愛の面影」であり、その次に1位となったのはビージーズ自身の「恋のナイト・フィーバー」だった。更にその次に1位となったイヴォンヌ・エリマンの「アイ・キャント・ハヴ・ユー」も含めて、4曲全てバリー・ギブが制作した曲であった。
B面にはビー・ジーズが歌う「アイ・キャント・ハヴ・ユー」(If I Can't Have You)が収録された。
主なカバー・バージョン
- N-トランス - 1995年にカバーしたバージョンが、全英シングルチャートで2位を記録[5]。フジテレビ系列で深夜に放送されていた音楽番組『BEAT UK』のUKシングルチャートでNo.1を獲得。
- ワイクリフ・ジョン - 1997年のシングル「We Trying to Stay Alive」でサンプリング。全英シングルチャートで13位を[6]、全米で45位を記録。
- 西城秀樹 - 1978年7月22日後楽園球場で開催された「BIG GAME'78 HIDEKI」にてカバー。『BIG GAME'78 HIDEKI』に収録されている。
- アヴちゃん(女王蜂) - 2022年公開の映画『ブレット・トレイン』の挿入歌としてカバー[7][8]。
また、NHK Eテレで放送されていた『ハッチポッチステーション』では、グッチ裕三が童謡「クラリネットをこわしちゃった」と合体した形で歌唱した[9]。
ステイン・アライヴと胸骨圧迫
メディアにおける使用
チャート
週間
|
年間
オールタイム・チャート
|