ストラングラーズ

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ストラングラーズThe Stranglers)は、1974年に結成されたイングランド出身のロックバンド

1977年にデビューし、1970年代パンク・ムーヴメントから台頭した。結成以来解散も休止もなく、幾つかのメンバー交代を経ながら50年以上に亘って活動を継続している[1]。当時のパンク・バンドの多くとは異なり既にキャリアのある練達者によって結成され、同ムーヴメント終息後は独特の耽美的でインテリジェンスな音楽性を評価された。

結成

スウェーデン生物学の研究のかたわら「Johnny Sox」というバンドで活動をしていたヒュー・コーンウェルギターボーカル)は、1974年イギリスに戻り、ジャン=ジャック・バーネルベース、ボーカル)、ジェット・ブラックドラムス)、デイヴ・グリーンフィールド[注釈 1]キーボード、ボーカル)らを誘いストラングラーズを結成した。後にコーンウェルは、音楽に生きるよう「神の啓示」を受けたと語っている。

彼等が活動を開始した当時はハードロックプログレッシブ・ロックが主流で、仕事にありつきたければ髪を伸ばすこと、長いギターソロを弾くこと、ベルボトムを穿くことを要求されるようなこともあった時代だった。彼等の過激な演奏と言動、ファッションはそれらとは明らかに異質のものだったので、なかなか仕事を得られなかった。しかしハードロックとは異なる硬質の攻撃性とプログレッシブ・ロックには見られない異なるラディカルな知性が混淆する新奇な音楽は次第に支持を広げ、彼等はイギリス全土を股にかけて毎日のようにライブを行うまでになった。

人気と共に右翼団体との間に軋轢を生じ[注釈 2]ザ・クラッシュと乱闘騒ぎを起こしたこともあった[2]

メジャー・デビュー後(1977年 - 1989年)

デビュー・ラインナップ(1985年)。左からデイヴ・グリーンフィールド、ヒュー・コーンウェル、ジャン=ジャック・バーネル、ジェット・ブラック。

1977年、アルバム『夜獣の館』でメジャー・デビュー。続いて発表したアルバム『ノー・モア・ヒーローズ』(1977年)、『ブラック・アンド・ホワイト』(1978年)、『レイヴン』(1979年)を合わせた4作全てをUKチャートのトップ5に送り込み、代表的なパンク・バンド、ニュー・ウェイヴの旗手としてイギリスの若者に大きな影響を与えた。

1979年2月、初の日本公演。同年12月に2度目の日本公演[注釈 3]。1980年12月にはNHK総合テレビジョンの音楽番組『ヤング・ミュージック・ショー』でミュージック・ビデオが放送された[3]

フランス・パリ公演(1979年)。左からバーネル、コーンウェル。

パンク・ムーヴメントが過ぎ去った1980年代に入ってからも、『メニンブラック』(1981年)、『ラ・フォリー』(1981年)、『黒豹』(1983年)、『オーラル・スカルプチャー』(1984年)、『夢現』(1986年)とコンスタントにアルバムを発表した。これらのアルバムでは狭義のパンク的な要素は影を潜め、プログレッシブ・ロック、アート・ロックゴシック・ロックなどからの影響を感じさせるインテリジェンスとリリシズム、ヨーロッパ的湿潤と陰翳に富む内省的なアプローチが目立ちはじめた。日本での人気はパンク・バンドという1970年代のパブリックイメージとの違いのせいか下降線をたどったが、本国イギリスでは深い精神性と耽美的なメロディが新たな人気を呼んだ。これらのアルバムもヒットチャートに入り続け[4]、むしろ初期のアルバムよりも高い評価を受けている。アルバム『ラ・フォリー』からシングルカットされた'Golden Brown'は、全英シングルチャートで最高位2位を記録して彼等の最大のヒット曲になった。

コーンウェル脱退以降(1990年 - 現在)

1990年、コーンウェルがバンドの方向性に限界を感じて、10thアルバム『10』を最後に脱退。新たにジョン・エリス(ギター)とポール・ロバーツ(ボーカル)が加入し、5人編成で『ストラングラーズ・イン・ザ・ナイト』(1992年)、『アバウト・タイム』(1995年)、『リトゥン・イン・レッド』(1997年)、『コープ・デ・グレイス』(1998年)という4作のアルバムを発表。

フランス・エルヴィル=サン=クレール公演(2007年)

1992年、単独公演で来日。

2000年、エリスが脱退。新たにバズ・ウォーン(ギター、ボーカル)が加入。

2004年、6年ぶりのアルバム『ノーフォーク・コースト』を発表。

2006年、ロバーツが脱退。4人編成に戻る。

2007年、オリジナル・メンバーのブラックが心房細動に罹っていることが報告される。長時間の移動が必要な場所での演奏では代役にイアン・バーナードを起用[5]。この年、「サマーソニック」に出演のため来日。

2010年、「パンクスプリング」に出演のため来日。

2012年、アルバム『ジャイアンツ』を発表。

2015年、ブラックが77歳という高齢を理由に事実上の引退。

2019年、27年ぶりになる単独の日本公演を開催[6]

2020年、1975年に加入したグリーンフィールドが、心臓疾患と新型コロナウイルスの感染で死去[7]。デビュー時のメンバーで在籍するのはバーネルだけになった。6月10日、残されたメンバーは、グリーンフィールドの死の直前にストラングラーズが録音したアルバムのミキシング作業を行っていたこと、彼に敬意を表して2020年秋にファイナル・ツアーを行うことを発表した[8]

2021年、アルバム『ダーク・マターズ』を発表。

2022年12月、引退していたブラックが死去[9]

メンバー

※2022年12月時点

現ラインナップ

旧メンバー

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • 夜獣の館 Rattus Norvegicus(1977年)
  • ノー・モア・ヒーローズ No More Heroes(1977年)
  • ブラック・アンド・ホワイト Black and White(1978年)
  • レイヴン The Raven(1979年)
  • メニンブラック The Gospel According to the Meninblack(1981年)
  • ラ・フォリー La Folie(1981年)※旧邦題『狂人館』
  • 黒豹 Feline(1983年)
  • オーラル・スカルプチャー  Aural Sculpture(1984年)
  • 夢現 Dreamtime(1986年)
  • 10 10(1990年)
  • ストラングラーズ・イン・ザ・ナイト Stranglers in the Night(1992年)
  • アバウト・タイム About Time(1995年)
  • リトゥン・イン・レッド Written in Red(1997年)
  • コープ・デ・グレイス Coup de Grace(1998年)
  • ノーフォーク・コースト Norfolk Coast(2004年)
  • スイート・シックスティーン Suite XVI(2006年)
  • ジャイアンツ Giants(2012年)

ライブ・アルバム

  • ライヴ:Xサーツ Live (X Cert)(1979年)
  • オール・ライヴ All Live and All of the Night(1988年)
  • ライヴ・アット・ザ・ホープ・アンド・アンカー Live at the Hope and Anchor(1992年)
  • The Early Years '74 '75 '76 Rare Live and Unreleased(1992年)
  • サタデー・ナイト、サンデー・モーニング Saturday Night, Sunday Morning(1993年)
  • ライヴ血風録 Death and Night and Blood(1993年)
  • ストラングラーズ&フレンズ The Stranglers and Friends - Live in Concert(1995年)
  • Access All Areas(1996年)
  • 13日の金曜日 - ライヴ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール - Friday the Thirteenth(1997年)
  • ライヴ・アット・ハマースミス・オデオン'81 Live at the Hammersmith Odeon '81(1998年)
  • ファイヴ・ライヴ・ゼロワン 5 Live 01(2001年)
  • Apollo Revisited(2003年)
  • Coast to Coast: Live on Tour(2005年)
  • Themeninblackinbrugge(2008年)
  • Live at the Apollo 2010(2010年)※DVD & CD

日本公演

脚注

外部リンク

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