セリゼ
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| Cerizay | |
|---|---|
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| 行政 | |
| 国 |
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| 地域圏 (Région) |
ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
| 県 (département) |
ドゥー=セーヴル県 |
| 郡 (arrondissement) | ブレシュイール郡 |
| 小郡 (canton) | セリゼ小郡 |
| INSEEコード | 79062 |
| 郵便番号 | 79140 |
| 市長(任期) |
ジョニー・ブロソー (2014年 - 2020年) |
| 自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération du Bocage bressuirais |
| 人口動態 | |
| 人口 |
4744人 (2013年) |
| 人口密度 | 256人/km2 |
| 住民の呼称 | Cerizéens |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯46度49分20秒 西経0度39分48秒 / 北緯46.8222度 西経0.6633度座標: 北緯46度49分20秒 西経0度39分48秒 / 北緯46.8222度 西経0.6633度 |
| 標高 |
平均:m 最低:143m 最高:217m |
| 面積 | km2 |
| 公式サイト | http://www.cerizay.fr/ Site de la mairie de Cerizay |
セリゼ (Cerizay)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ドゥー=セーヴル県のコミューン。
歴史
名前の起源はガロ=ローマ時代と思われる。中世、町の中心部は封建時代の城のふもとにあった。この城の2本の塔は、12世紀のロマネスク様式の礼拝堂と同様に取り壊され、跡地には1890年に現在の教会が建設された。
礼拝堂の内陣に掲げられた紋章のベルトは、将軍ユルバン・ド・マイエ(fr、コンデ公アンリ3世の外祖父)を含む、17世紀のセリゼ領主の紋章を表している。新たな教会を建設していた時、礼拝堂近くでメロヴィング朝時代の墓地が発見された。貝の形をした石で作られたサルコファガスが見つかっている。
ジュアンヌ・マンゴ・ド・シュルジェールは、『いとも高貴なセリゼ領主、ジャック・ド・シュルジェール』の娘で、ランゴワラン領主ガストン1世・ド・モンフェランの妻だった。
フランス革命時代にセリゼ領主であったのはピエール・フュゾー・ド・セリゼであった。彼にとって不運なことに、1792年8月にセリゼは近郊の村から集まった、新体制に反対する農民たちによって略奪され、財産を盗まれた。この農民反乱は、ブレシュイールでのムーラン・ド・コルネ事件で終わり、数か月後に起こるヴァンデ戦争を予期するものとなった。
ナポレオン1世が即位すると、セリゼ子爵は財産の返還と、フランス帝国貴族に列せられるよう要求した。しかし、ナポレオン1世は要求を拒否し、セリゼ子爵がもはや貴族にとどまっていられるほど豊かではないとみなして、貴族であれば姓の前に付けることができるdeを取り消した。その後、元セリゼ子爵は己の子孫にフュルゾーの名をつけることにした。20世紀初頭、オワロンにある子爵の城に一族が暮らすようになった。
1944年8月25日、フランス大西洋岸から戻ってきたドイツ軍部隊が、報復として爆撃を行い、家から家に火を放ち、町の住民5人が犠牲となり、172軒の住宅が破壊された。