セルゲイ・コルニレンコ
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Syarhey Alyaksandravich Karnilenka
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| 名前 | ||||||
| 本名 |
シャルヘイ・アリャクサンドラーヴィチ・カルニリェーンカ Syarhey Alyaksandravich Karnilenka | |||||
| ラテン文字 | Syarhey Karnilenka | |||||
| ベラルーシ語 | Сяргей Аляксандравіч Карніленка | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1983年6月14日(42歳) | |||||
| 出身地 |
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| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 85kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW (CF) | |||||
| 利き足 | 両足 | |||||
| ユース | ||||||
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2000 |
| 4 | (0) | |||
| 2000 |
| 6 | (3) | |||
| 2000-2001 |
| 22 | (4) | |||
| 2001-2003 |
| 46 | (23) | |||
| 2004 |
| 12 | (2) | |||
| 2005-2008 |
| 88 | (25) | |||
| 2008-2009 |
| 13 | (6) | |||
| 2009-2011 |
| 11 | (1) | |||
| 2010 |
→ | 15 | (11) | |||
| 2010 |
→ | 8 | (3) | |||
| 2011 |
→ | 6 | (0) | |||
| 2011-2019 |
| 190 | (54) | |||
| 2021 |
| 0 | (0) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2000 |
| 4 | (1) | |||
| 2002 |
| 1 | (0) | |||
| 2003-2005 |
| 17 | (6) | |||
| 2012 |
| 4 | (0) | |||
| 2004-2016 |
| 78 | (17) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2019-2020 |
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1. 国内リーグ戦に限る。2021年4月29日現在。 2. 2021年4月29日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
シャルヘイ・アリャクサンドラーヴィチ・カルニリェーンカ(ベラルーシ語: Сяргей Аляксандравіч Карніленка, ラテン文字転写: Syarhey Alyaksandravich Karnilenka, 1983年6月14日)は、ソビエト連邦(現ベラルーシ)・ヴィーツェプスク出身の元ベラルーシ代表サッカー選手。ポジションはFW。
ロシア語ではСергей Александрович Корниленко(セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・コルニレンコ)となる。
1983年、ソビエト連邦時代の白ロシア・ヴィーツェプスクで生まれ、2000年に地元のクラブFCロコモティフ-96・ヴィーツェプスクでキャリアをスタートさせた。2001年にFCディナモ・ミンスクへ移籍し、2003年にはリーグ戦で18得点を挙げ得点王に輝いた。
2004年、その活躍が認められてウクライナ・プレミアリーグの強豪FCディナモ・キーウに移籍するも、レギュラーを確保するには至らず1年でFCドニプロへ移籍した。
2008年8月、ロシア・プレミアリーグのFCトム・トムスクへ2年半の契約で移籍。2009年にシーズン途中でクラブを去る事になったが6得点を挙げ、同年のチーム最多得点者になった。2009年7月、FCゼニト・サンクトペテルブルクへ移籍金200万ドル[1]、4年半の契約で加入した[2]。パヴェル・ポグレブニャクやファティフ・テッケが負傷した際に出場したが結果を残すことが出来ず、2010年にトム・トムスクへ期限付き移籍で復帰。15試合に出場11得点を記録し、2010年8月にはFCルビン・カザンへレンタルとなった[3]。
2011年1月31日、スタンダール・リエージュからのオファーを断り[4]、移籍市場が閉まる直前にイングランド2部のブラックプールFCへローンで加入。2011年8月下旬、PFCクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラへ完全移籍した[5]。9月11日、第23節の古巣トム・トムスク戦にスタメン出場。前半8分にパーヴェル・ヤーコヴレフからのクロスをヘディングで捉え、移籍後初の得点を決めた[6][7]。
2019年7月10日、現役を引退しミオドラグ・ボジョヴィッチ監督の下でアシスタントコーチに就任することが発表された[8]。12月8日のFCウラル戦の後半、判定に抗議し副審を小突いたためレッドカードを提示され退場[9]。3日後、執行猶予3試合を含む6試合のベンチ入り禁止及び10万ルーブルの罰金処分が科された[10]。2020年8月4日、クラブのスポーツディレクターに転任[11]。2021年2月27日、引退試合を開催するためシーズン終了までの契約で選手契約を締結した[12]。
代表歴
ベラルーシ代表として各世代でプレー。2003年7月20日の国際親善試合・イラン戦で途中出場しフル代表デビュー、2-1の勝利で飾った。2012年に開催されたロンドン・オリンピックにオーバーエイジとして参加した。