ロシアでは十月革命まで、セロとデレヴニャとは明確に区別されていた。すなわち、教会堂を有する集落がセロと呼ばれ[6][2]、周囲のデレヴニャをも含む小教区の中心地であった。なお、ポゴストも小教区の中心地であったが、ポゴストにはプリチト(ru)や聖職者の屋敷があるのみだった。ソビエト連邦期や現在のロシアでは、行政区画としてのセロとデレヴニャに正式な基準は設定されていない。
伝統的に、セロである集落名の多くには、語末に -оあるいは -оеが用いられた。また、クラスノエ・セロ(ru)(行政区画としては市)など、地名の一部に組み込まれている場合もある。