セーヌ県
From Wikipedia, the free encyclopedia
| セーヌ県 Seine | |
|---|---|
|
セーヌ県章 | |
| 位置 | |
| 概要 | |
| 県番号 | 75 |
| 地域圏 | イル=ド=フランス |
| 県庁所在地 | パリ |
| コミューン | 81 |
| 統計 | |
| 面積¹ | 480 km2 |
| ¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。 | |
セーヌ県(仏: Le département de la Seine)は、1968年1月1日にセーヌ=エ=オワーズ県とともに廃止されたフランスの県である。当初は、パリ県として成立した。1964年7月10日の法律および1965年2月25日のデクレの施行によって、現在のパリ、セーヌ=サン=ドニ県、オー=ド=セーヌ県及びヴァル=ド=マルヌ県に再編された。
県の歴史


赤色が再編前の12区 ; 灰色が再編後の市域.


18世紀
- 1790年3月4日 : 3地区で構成されるパリ県が成立した[2]。
- 1792年9月5日 : ブール=ラ=レーヌ地区がブール=ドゥ=レガリテ地区(District de Bourg de l'Égalité)へと改名される。
- 1793年9月17日 : サン=ドニ地区がフランシアード地区(District de Franciade)へと改名される。
- 1795年8月22日 : パリ県がセーヌ県へと改名され、地区制度も廃止される[3]。
19世紀
- 1800年 (2月17日。革命暦8年雨月28日法) : 14の郡(arrondissements)が設置され、うち2つにはそれぞれ4つの小郡(canton)が設けられた。
- 1829年 : ナンテール小郡がクールブヴォア小郡となる。
- 1853年6月22日 : ジョルジュ・オスマンが県知事となる(在職期間は1870年1月5日まで。)。
- 1860年 : 周辺部(ティエールの城壁内部)を併合した上で、パリの行政区が現在の20区に再編される。
- 1880年 : サン=ドニとソーの各副知事制度が廃止される。両郡は引き続き存在したが、セーヌ県知事が直轄することとなった。
- 1893年 : 新たに13の小郡が設置される。
20世紀
- 1908年 : サンドニ郡にコロンブ小郡設置。
- 1964年 (7月10日の法律) : セーヌ県とセーヌ=エ=オワーズ県の廃止が予定される。暗黙のうちに、サン=ドニ郡とソー郡が廃止される。
- 1965年 (2月25日のデクレ) : 新たな県庁所在地として、ボビニー、クレテイユ及びナンテールが計画される。
- 1966年 (12月30日のデクレ) : アントニー郡とノジャン=シュル=マルヌ郡設置。
- 1968年1月1日:セーヌ=エ=オワーズ県とともに公式に廃止される。