Wikiwand AI

ゼリャヴァ空軍基地

From Wikipedia, the free encyclopedia

ゼリャヴァ空軍基地(英語:Zeljava Air Base、クロアチア語:Vojni aerodrom Željava)は旧ユーゴスラビアで1968年から1992年までの24年間使用された空軍基地である。Željavaと表記するので発音は「ジェリャヴァ」が近い。正式名称は「Klek505(クレク505)」。

所在地 ゼリャヴァ
種類 軍用
運営者 ユーゴスラビア空軍
概要 ゼリャヴァ空軍基地Aerodrom Željava Zeljava Air Base, 概要 ...
ゼリャヴァ空軍基地
Aerodrom Željava
Zeljava Air Base
IATA: 無し - ICAO: LYBI 現在はLQBI
概要
国・地域 クロアチア
ボスニア・ヘルツェゴビナ
所在地 ゼリャヴァ
種類 軍用
運営者 ユーゴスラビア空軍
開設 1968年
閉鎖 1992年
標高 地上部:337 m
山頂部:1648 m
座標 北緯44度50分3秒 東経15度47分44秒
地図
ゼリャバ空軍基地の位置
ゼリャバ空軍基地の位置
Klek505
ゼリャバ空軍基地の位置
滑走路
方向 長さ (m) 表面
14L/32R 2,545m アスファルト
14R/32L 2,510m アスファルト
08R/26L 2,325m アスファルト
08R/26L 2,215m アスファルト
01R/19L 3,630m アスファルト
リスト
空港の一覧
テンプレートを表示
閉じる

計画

冷戦下の1954年、ユーゴスラビアが西側諸国からの攻撃をシミュレーションしたところ、国内の全ての戦闘機がわずか20日間で使用不能になるという結果となった。

ユーゴスラビア軍は、主要都市(ベオグラード、ザグレブ、サラエボ、スプリト等)の防衛拠点となる、防御能力に優れた空軍基地の建設を起案した。軍司令部はスウェーデンのヨーテボリ近郊の岩山に造られたイェータ航空師団の基地を視察し、それをモデルとした地下基地を設計した。それはMiG-21を最大60機収容可能な大規模なもので、ユーゴスラビアが自力で開発中の戦闘機ノヴィ・アヴィオン(Yu Supersonik)の運用も想定された。

着工~完成

建設場所はビハチから北東へ18kmにある、ゼリャヴァ付近が選ばれた。ゼリャヴァの村民は一部を残し立ち退きを命じられた。

国営企業のソチャ(Soča)がプリェシェヴィツァ山を掘削し始めたが、非常に硬い岩山であることが判明し、止むを得ず発破を繰り返して掘り進んだ[1]。極秘扱いのため、窓を黒く覆ったバスで作業員を送迎したという証言がある。約250人が3交代制で従事し1965年に完成。1968年に運用を開始した[2]。だが1968年の時点でアメリカの偵察衛星に記録されており、CIAは新しい基地の能力を把握していたようである[3]。また、政治犯や死刑囚が送り込まれ、2度と戻らなかったという噂も伝えられている。

ゼリャヴァ基地の建設費は、約60億ドル(現在の540億ドル)と推定される。建設資金の一部は「高速道路の建設」という名目で世界銀行の融資を受けた[4]。冷戦時代のユーゴスラビアは、400億ドルを投じて既に40ヶ所あまりの大小様々な地下軍事施設を建設してきたが、ゼリャヴァ空軍基地は国内で最も高額な施設となった[5]。

施設概要

トンネル部

地下基地を収容するトンネルの総延長は3,500mに及び、ユーゴスラビアだけでなくヨーロッパ全土でも最大規模である。

※トンネルの配置図

中央にある最大のトンネルは幅20m×高さ10mあり、航空機の整備場として使用した。

その両側に、Mの字型に幅15.4m×高さ8m、長さ350m・400m・500mの3本の格納庫用トンネルが延び、冷戦時には第124戦闘航空隊(MiG-21bis×15機)、第125偵察航空隊(MiG-21R×20機)、第352戦闘航空隊(MiG-21bis×18機)の計58機のMiG-21を収容した。航空機の移動は充電式の牽引車が使用され、全ての駐機スペースに給油設備を設置した。天井には外部からの爆風を緩衝するためのコンクリート製のカーテンが複数設けられた。

幅20mのメイントンネル

その他、司令室、作戦室、通信室、武器弾薬庫、燃料貯蔵タンク(100t×5基)、ポンプ室、ディーゼル発電機(1000kVAと625kVAの2基)、病院および遺体安置所、宿舎、遊戯場、1,000人分を一度に賄う食堂および調理場、30日分の食料貯蔵庫など、合わせて56の部屋がありそれぞれが装甲扉で区切られた。

空調設備は13基あり、居住エリアを摂氏21度、格納庫エリアを18度に保つ。換気設備は放射能除去フィルターを装備し、核シェルターとしても機能した。

出入口

プリェシェヴィツァ山の麓には地下基地の出入口が4ヶ所あり、全てが滑走路に直結している。

トンネル出入口

出入り口の上部には、戦闘機の垂直尾翼の形状に合わせたコンクリート製のカーテンがあり、全ての出入り口に電動または油圧でスライドする鉄筋コンクリート製の扉が設けられた。この扉は幅20m、高さ4~10m、厚さ60~80cm、重量は100トン。長崎に投下された原子爆弾と同等の20キロトンの衝撃に耐える強度があったという[6]。

地上部

山の西側には平地が広がり約2.5~3.6キロの滑走路が5本ある。敵に奪取される事態を想定して、滑走路の下には爆破用の横穴が50~100メートル間隔でジグザグに設けられている。

地上にはソ連製の2K12自走式防空ミサイル、自走式レーダー、2機のスクランブル用の戦闘機が配備され、憲兵は侵入者への発砲が許されていた[3]。また滑走路の周辺には格納庫や整備場、兵舎など30棟余りの建築物があり、軍高官がハンティングを楽しむためのロッジもあった[4]。

燃料貯蔵施設は南東約10キロのビハチ市近郊に設けられ、深く埋設された地下配管で航空燃料を供給した。

山頂部

プリェシェヴィツァ山の山頂には、地下施設とエレベーターで直結する掩蔽壕が造られた。管制室や指令室、レーダー管制室、気象観測所が置かれ[1]、イギリス製のS-613レーダーがイタリアやオーストリアを監視した。

S-613レーダー

ユーゴスラビア紛争

基地が運用されて23年が過ぎた1991年、ユーゴスラビア紛争が勃発した。

1991年8月31日、トリエステに向かうウガンダ航空のボーイング707が誤ってユーゴスラビア領空に侵入したため2機のMig-21がスクランブル発進し、まだユーゴスラビア軍の統制下にあったザグレブ空港に強制着陸させた。本当の目的地はスロベニアのリュブリャナで、積荷はクロアチア軍が南アフリカ共和国で調達した大量のSAR80自動小銃と対戦車ロケット弾だった[7]。

1991年9月、この基地から飛び立ったMiG-21がザグレブのテレビ塔を破壊し、10月にはクロアチア大統領を暗殺する目的でクロアチア公邸(Banski Dvori)を空爆した[8]。カルロヴァツ近郊では最後に出撃したうちの1機が撃墜された。

1991年10月、パイロットのルドルフ・ペレシンがMiG21で出撃したあと、そのままオーストリアの空港に着陸し亡命した。クロアチア人の彼はクロアチア空軍のパイロットとして従軍した。しかし1995年にセルビア・クライナ軍の対空砲火で撃墜され死亡した[9]。1992年2月にはゼリャヴァ基地で教官を務めるダニエル・ボロヴィッチが、飛行訓練中にクロアチアに亡命した[10]。

紛争初期はユーゴスラビア人民軍(JNA)が優勢を保っていたものの、翌年4月頃になると戦局が転換し、その勢力が衰え始めた。基地はクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの領域にあるため、軍は周辺に多く住むセルビア人をセルビアに退避させるとともに、軍用機や物資を搬出したあと滑走路を爆破し使用不能にした。その後は、およそ1年にわたりユーゴ人民軍に属するクライナ・セルビア人勢力が利用したが、1993年に56トンの爆薬を用いてトンネル入り口を破壊し完全撤退した[11]。その爆発は10キロ離れたビハチ市が揺れるほどのすさまじさで、それから半年間はトンネルから煙が噴き出していた伝えられている[2]。

爆破された滑走路
爆破されたトンネル

山頂のレーダーは1995年にクロアチア軍によって破壊された。

現在の状況

ユーゴスラビア解体に伴い、同基地の敷地を分断する形でクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境線が引かれることになった。

両国ともに財政難であったため基地は放置され、そのまま廃墟と化した。国境警備も手薄になり、ここを通過してEUを目指そうとするシリアやアフガニスタンの不法入国者が後を絶たないため[12]、2004年頃に難民キャンプを建設する案が挙がったがすぐに立ち消えとなった。その後クロアチア陸軍の兵舎が計画されたが、国境の15キロ圏内に軍用施設を禁止する旧ユーゴスラビア諸国間条約に違反するとして中止となった[11]。

基地周辺にはユーゴスラビア紛争時に敷かれた地雷が多数残存しているとみられ、現在もEUによって除去作業が進められている。2000年11月には、ボスニア空軍の少佐がキノコ採りをしているときPROM-1対人地雷に触れて死亡した[3]。また、トンネル内は数百個のイオン化煙感知器から漏れ出したPCBや放射性アメリシウム、不凍液に含まれるエチレングリコールなどの有害物質が検出されたため、長時間トンネル内に留まることが禁じられている[11]。

2016年の映画 ”Houston, We Have a Problem!”(ドイツ、カタール、スロベニア、クロアチア合作。ユーゴスラビアの宇宙開発とCIAの陰謀を描くモキュメンタリー)で、この基地が大々的に取り上げられたことで注目を集め、近くのプリトヴィッツェ国立公園の観光ツアーに組み込むなどして年間15万人の観光客が訪れるようになった[13]。

2018年にはプジョー508のCMの撮影で滑走路が使用された。2019年、クロアチアのプリトヴィッツェ湖群市とボスニア・ヘルツェゴビナのビハチ市の管理下に置かれることが決まり、戦争史博物館やビハチ空港を建設する計画が立ち上がるが、未だ進展はない(2026年現在)。

脚注

関連項目

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks