ソロモン・ロゾフスキー From Wikipedia, the free encyclopedia ソロモン・ロゾフスキー、1926年頃 ソロモン・アブラモヴィッチ・ロゾフスキー(ロシア語: Соломо́н Абра́мович Лозовский 英語: Solomon Abramovitch Lozovsky、1878年3月16日(ユリウス暦)/3月28日(グレゴリオ暦) - 1952年8月12日[1])は、ソビエト連邦の労働運動家、政治家。 日ソ中立条約調印に立ち会うロゾフスキー(後列右から7人目の、左手を挙げている人物)。右へ外相モロトフ、党書記長スターリン。署名するのは日本外相松岡洋右。1941年4月13日、モスクワ。 ロシア帝国エカテリノスラフ県(現在のウクライナ南部)の村で、ユダヤ人の教師の子として生まれた。 1901年ロシア社会民主労働党に入党。1905年カザンでの労働者蜂起を指導して投獄されたが、フランスに逃れパリで労働運動を指導。1917年、ロシア革命後に帰国して全ソビエト労働組合中央評議会(ロシア語版)書記。 1920年より赤色労働組合インターナショナル(プロフィンテルン)の創立に参加。1921年7月の第1回大会でその責任者となり、1939年に解体されるまでプロフィンテルンを指導した。 1927年ソビエト連邦共産党中央委員候補。コミンテルン執行委員、1939年-1946年極東関係担当の外務人民委員代理(副外相)、1941年-1946年ソビエト連邦情報局総裁代理、1946年同総裁を歴任した。 1949年、シオニストの陰謀事件(ロシア語版)に関与したとして逮捕され、1952年8月12日に処刑された[1]。スターリン批判後、1956年に名誉回復された。 労働組合運動に関する著作が多く、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、チェコ語、セルビア語、ブルガリア語、トルコ語、日本語、中国語、マレー語、ギリシャ語、ルーマニア語、スウェーデン語、ノルウェー語、フィンランド語などに翻訳されている。[2] 脚注 [脚注の使い方] 1 2 「ろぞふすきー」『日本大百科全書(ニッポニカ)』。https://kotobank.jp/word/%E3%82%8D%E3%81%9E%E3%81%B5%E3%81%99%E3%81%8D%E3%83%BC。コトバンクより2024年10月19日閲覧。 ↑ Лозовский, А. 外部リンク 国立国会図書館デジタル化資料「ロゾフスキー」 WorldCat "Lozovskii, Solomon Abramovich" YIVO Encyclopedia of Jews in Eastern Europe "Lozovskii, Solomon Abramovich" ジョレス・メドヴェージェフ Соломон Лозовский, Полина Жемчужина и Вячеслав Молотов ウィキメディア・コモンズには、ソロモン・ロゾフスキーに関連するカテゴリがあります。 典拠管理データベース 全般 FAST ISNI VIAF WorldCat 国立図書館 スペイン フランス BnF data ドイツ イスラエル フィンランド アメリカ スウェーデン ラトビア 日本 チェコ 韓国 オランダ ポーランド 学術データベース CiNii Books CiNii Research 人物 ドイッチェ・ビオグラフィー Trove(オーストラリア) 1 その他 IdRef この項目は、ヨーロッパの政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/P:政治学/P:ヨーロッパ/PJ 政治/PJ ヨーロッパ)。表示編集 Related Articles