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タカ航空110便不時着事故

1988年にアメリカで発生した事故 From Wikipedia, the free encyclopedia

タカ航空110便不時着事故(タカこうくう110びんふじちゃくじこ)とは、1988年5月24日にタカ航空(現:アビアンカ・エルサルバドル、国籍:エルサルバドル)110便が、ベリーズからアメリカ合衆国・ルイジアナ州ニューオーリンズに向けて飛行中、ニューオーリンズ東部の草地の堤防に不時着した航空事故である。

概要 FOD(雷雨と雹)による両エンジン停止(フレームアウト)
乗客数 38
概要 出来事の概要, 日付 ...
タカ航空 110便
1989年6月に撮影された事故機
出来事の概要
日付 1988年5月24日
概要 FOD(雷雨と雹)による両エンジン停止(フレームアウト)
現場 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・ルイジアナ州ニューオーリンズ市ミショー
乗客数 38
乗員数 7
負傷者数 0
死者数 0
生存者数 45(全員)
機種 ボーイング737-3T0
運用者 エルサルバドルの旗 TACA航空
機体記号 N75356
出発地 ベリーズの旗 フィリップス・S・W・ゴールドソン国際空港
目的地 アメリカ合衆国の旗 ニューオーリンズ国際空港
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航空機と乗務員

機長はエルサルバドル内戦の時、小型機で飛行中に十字砲火を浴び負傷、左目の視力を喪失していた[1]。

機材履歴

機体は1988年1月26日に初飛行、運用の約2週間前にタカ航空に引き渡し[2]。ボーイング737として1,505番目の機体で、タカ航空の前はポラリス・エアクラフト・リーシングが所有していた[3]。

2011年に撮影された事故機

インシデント

当日の飛行は通常通り進み、ベリーズシティのフィリップス・S・W・ゴールドソン国際空港を離陸し、ルイジアナ海岸に向け、メキシコ湾上を飛行していた。NTSB(米国国家運輸安全委員会)の調査によると、高度11,000mから降下しながら、ニューオーリンズ・モアサン・フィールド(ルイ・アームストロング・ニューオーリンズ国際空港の通称)への着陸準備をしている最中に、機長と副操縦士は、機上気象レーダーに描かれた豪雨を示す「いくつかの赤いセル」に気付いた。セルは、予定の飛行経路の両側にあった。

航空機は高度9,100mで雲中に入った。操縦士は「連続点火システム」を選択し、降雨と着氷の影響からターボファンエンジンを保護するために着氷防止装置を作動させた。どちらもフレームアウトを引き起こす余地があり、その場合エンジンは全ての推力を失ってしまう。レーダーに示された2か所の激しい降雨エリアの間のルートを飛行していたにもかかわらず、110便は豪雨、雹、乱気流に見舞われた[4][5]。

事故機のノーズコーン
着陸後の110便

高度5,000mを通過すると両エンジンは停止し、推力と電力を失い滑空状態となった。航空機が降下し高度3,200mを通過すると、電力を回復させる補助動力装置(APU)を始動した。一方、操縦士は飛行機の降下によって起きる気流を利用する「ウインドミルスタート」[注 1]によるエンジン始動を試みたがうまくいかず、次にAPUからの動力が供給されているエンジンスターターの使用でエンジンは始動できた。しかし、どちらのエンジンも、十分な推力を出すにははるかに及ばず、通常の速度まで加速しなかった。燃焼加速を試みたが、エンジンがオーバーヒートしたため、壊滅的な故障を避けるためにエンジンを停止した。

管制官は110便に高速道路に着陸することを勧めたが、サザン航空242便のような大惨事を招くのを恐れ拒否した。そこで、操縦士は機体をニューオーリンズの東部、ミショーにある川に不時着水させることを試みたが、偶然にもその川の横にアメリカ航空宇宙局のミショー組立施設(英語版)の敷地内にある草地の堤防を発見し、軌道を修正して安全に着陸・停止させた[4]。乗客乗員45人にけがはなかった。

調査と勧告

事故機の損傷を受けたブレード

国家運輸安全委員会(NTSB)事故調査委員会は、110便が遭遇したレベル4の雷雨の再現に苦慮した。エンジンのパワーが全開だった場合ならば、フレームアウトに繋がらなかったためであった。

しかし、110便の場合は降下中でエンジンの出力をオートスロットルによって弱めていたことがレコーダーから判明した。米国連邦航空局(FAA)の降雨の吸入基準ではエンジンを全開にした状態を基準としていたため、110便の場合ではレベル4の雷雨における降水量と雹によって両エンジンのフレームアウトに繋がった、と結論付けた[5]。機体は若干の雹害を受けた。また、第2エンジン(右側)は過熱により破損した[4][5]。

問題を起こした搭載エンジンの製造元であるCFMインターナショナルは、同種の問題を防ぐために、豪雨や雹のような気象状況の下でも、ガスタービンを連続的に点火させるためのセンサーを加えることにより、CFM56エンジンを改良した。他に、効率よくエンジンの中核から雹などを避けるためにエンジン・ノーズコーンおよびファン・ブレードの間隔に対して改良が加えられた。さらに、エンジンからより多くの水を排出させるために与圧ドアが追加された。

搬出と復帰

事故機は重量により降着装置が沈むことが懸念されたため、移動されることとなった。当初、翼を取り外して解体して陸路で修理施設に機体を輸送する計画、はしけ・船での輸送する計画などが検討されたが、事故調査中に機体が沈み始めてしまった為、いったん、河岸に隣接するNASAのミショー組立施設(英語版)に曳いて移動された。その後、ボーイングの技術者は、現地で故障したエンジンを交換し、事故機をフェリーフライトさせることを決定した。

6月6日、乗客・荷物を載せず、燃料を最小限にし、ミショー組立施設に隣接しているもともと滑走路であった道路、サターン通りからテストパイロットが365mの滑走で離陸させ[6][7]、24km先のルイ・アームストロング・ニューオーリンズ国際空港に着陸した。

機体は回送後保守作業及びに改良作業が行われ、運用に復帰した。

事故からの復帰

この機体は、その後、1989年10月30日、Aviateca(アビアテカ、グアテマラ)、1991年4月16日、機体番号N319AWとしてアメリカウエスト航空、1993年1月7日、機体番号N764MAとしてMorris Air(モリスエア、アメリカ合衆国)、1995年1月1日、機体番号N697SWとしてモリスエアを傘下に収めたサウスウエスト航空と、所有者が変わりながら活躍を続け、2016年12月に退役した。

この後も機長は航空機のパイロットを務め、2023年9月1日に49年間にわたる現役パイロットとしての乗務を終えた[8]。

映像化

注釈

  1. 300ノット程度で飛行し、風圧でタービンを回転させてスタートさせる方式。APUを用いずに始動できるという利点があるが、増速するため急降下しなくてはいけないため、基本的には最終手段として用いる。

出典

関連項目

外部リンク

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