タラス
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地理
歴史
タラス周辺は中央アジア史の文脈で言及されることがあり、751年に付近でタラス河畔の戦いが行われたとされる。この戦いはアッバース朝側と唐側の軍事衝突として、後世の史叙述や研究で取り上げられてきた。[3]
一方で、同戦いを契機に製紙技術がイスラーム圏へ伝播したとする叙述は広く流布しているが、技術移転の経路や時期については史料学・製紙史研究上の議論がある。8世紀以前の中央アジアで紙が用いられていた可能性や、初期のアラビア語紙文書の存在などを踏まえ、単一の出来事に還元しない見解も提示されている。[4]
現在のタラス市街(近代都市としての形成)は、1877年に東スラブ系入植者によって建設されたとされる。[2]
人口
人口は資料・時点によって異なる。インフォボックスでは2009年の総人口を32,886人とし、タラス市公式サイトでは2024年1月1日現在の人口を42,637人としている。[1]
経済・交通
文化
史跡・文化施設
タラス市周辺には、キルギスの叙事詩『マナス』の伝承と結びつけられる記念施設が複数ある。キルギスの観光行政当局が公開するタラス州の「自然・文化記念物」一覧では、タラス市からの距離を付して「クムベズ『マナサ』(Kumbez 'Manasa')」、記念複合施設「マナス・オルド(Manas Ordo)」が掲げられている。[7] 同一覧では、マナス・オルドはタラス市の東方約15km、クムベズ「マナサ」は北東約22kmに位置すると説明される。[7]
文化行政当局の公表情報では、タラス州内に「歴史・博物館複合施設『タラスの戦い』(アトラフ)」があり、同地(チュイ=コルゴン地区)で史跡保全(歴史文化保護区の整備等)に言及している。[8]
また、同資料は、タラス州のシェケル村(チンギス・アイトマートフの故郷)における記念複合施設「チンギス・オルド(Chyngyz Ordo)」構想に触れ、文化遺産の拠点としての整備計画に言及している。[8]
口承文芸(マナス)
マナスはキルギスの口承叙事詩として広く知られ、語り手(manaschy)によって継承される。ユネスコの無形文化遺産リストでは、「キルギスの叙事詩三部作(マナス、セメテイ、セイテク)」が記載され、叙事詩の継承が語り手共同体によって支えられている旨が説明されている。[9]
学術研究では、マナスが近現代の社会・文化状況のなかでどのように演者・聴衆・制度と関係しつつ継承されているかが論じられている。例えば、Reichl(2016)は、口承叙事詩の継承と社会的文脈の関係を扱い、マナスが21世紀にも演者を通じて活性を保っていることを論じている。[10] 同号には、マナスの語り手に関する比較研究(Jumaturdu, 2016)も掲載されている。[11]
文化遺産の文脈(シルクロード関連)
UNESCO世界遺産センターの暫定リスト「Silk Roads Sites in Kyrgyzstan」には、タラス渓谷上流部(ケンコル川右岸)に位置する「Manas Ordo」の文化環境(Cultural Environment of Manas Ordo)がシルクロード支線に結びつく系列資産として説明され、考古遺跡群とともに有形・無形の要素を含む旨が記述されている。[12]
伝統工芸
キルギスでは羊毛を用いたフェルト工芸が生活文化と結びついて発達してきた。UNESCO無形文化遺産では、伝統フェルト敷物である「アラ・キイーズ」と「シルダク」の技術・意匠体系が緊急保護リストに記載され、知識・技能の継承や、共同作業・儀礼的側面などが説明されている。[13]
文化・観光資源(ガイド的説明)
観光行政当局が公開するタラス州の一覧には、文化施設に加えて自然・景観資源として「ベシュ=タシュ自然保護区」「キーロフ貯水池」等も含まれる。[7] これらは、都市タラスを拠点に周辺の文化・自然資源を周遊する際の参照情報として利用されている。