イギリス中部マンチェスター出身のロウは、パブリックスクールに入学するとすぐに中距離ランナーとして頭角を現す。1920年のパブリックスクールの競技会で880ヤード走に出場し優勝している。その後ロウはケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジに進学し法律を学ぶ。その傍らサッカーあるいは陸上に取り組んでいた。1922年、1923年のオックスフォード大学との対抗戦で880ヤード走を制覇。さらに1924年には1マイル走と半マイル走も制している。
ロウは1924年パリオリンピックの代表に選ばれる。この大会では800mに出場し、優勝候補と目されていた同じイギリスのヘンリー・スタラード(Henry Stallard)を下して金メダルを獲得。1分52秒4のタイムはヨーロッパ新記録であった。
ロウは、1927年、1928年と英国選手権の440ヤード、880ヤードを制する。1928年アムステルダムオリンピックでは前回大会と同じ800mに出場、多くの強豪選手が集う中、1分51秒8の自己ベストをたたき出し2大会連続の金メダルを獲得した。