ダグ・ウェクター
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フロリダ・マーリンズ時代 (2008年6月4日) | |
| 基本情報 | |
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| 出身地 | フロリダ州セントピーターズバーグ |
| 生年月日 | 1981年1月28日(44歳) |
| 身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 209 lb =約94.8 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト3巡目 |
| 初出場 | 2003年8月27日 |
| 最終出場 | 2009年8月11日 |
| 年俸 | $640,000(2009年)[1] |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ダグ・ウェクター(Douglas Michael Waechter , 1981年1月28日 - )は、アメリカ合衆国セントピーターズバーグ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
プロ入り - デビルレイズ時代 (1999 - 2007)
1999年6月2日、ドラフト3巡目でタンパベイ・デビルレイズ (当時の球団名) から指名され、同年6月27日に契約を結んだ[2]。入団後、マイナーリーグ (ルーキー級) のプリンストン・デビルレイズに配属され、7試合の先発登板含む11試合に登板。防御率9.77・0勝5敗・WHIP2.31という成績を残した。
2000年は、A-級のハドソンバレー・レネゲーズに所属。全て先発投手として14試合に登板し、防御率2.35・4勝4敗・WHIP1.24という成績を残した。なお、4勝のうち2勝は、完封勝利であった。
2001年は、A級のチャールストン・リバードッグスに所属。前年に続き、全て先発投手として26試合に登板し、防御率4.34・8勝11敗・WHIP1.42という成績を残した。同年、投球イニングと奪三振が自身初めて100を超えた。
2002年は、オーランド・レイズ (AA級) ・ベイカーズフィールド・ブレイズ(A+級) ・前述のチャールストンの3階級でプレー。オーランドでは、4試合の先発登板で防御率9.00・1勝3敗・WHIP2.22だったが、ベイカーズフィールドとチャールストンでは、いずれも4.00未満の防御率を記録。3チーム計では、28試合の先発登板で防御率3.54・10勝9敗・WHIP1.46という成績を残した。
2003年8月27日のシアトル・マリナーズ戦で、プロ5年目でメジャーデビューを果たした[3]。同試合で2番手として登板したウェクターは、2.1イニングを2安打無失点に抑え、メジャー初勝利を記録した[3]。9月3日には、デビュー戦と同じ対戦相手であるマリナーズ戦で、メジャー初先発の舞台に立った[4][5]。この試合で両親や友人ら100人以上の応援を受けた[5]ウェクターは、9.0イニングを2安打無失点に抑え、メジャー初先発で完封勝利を記録した[6]。なお、同日は母親の誕生日であった為、素晴らしい誕生日プレゼントをあげた形となった[5]。最終的にはメジャーで6試合に登板 (うち5試合が先発登板) し、防御率3.31・3勝2敗・WHIP1.25という成績を残した。また、マイナーではAAA級のダーラム・ブルズとオーランドで計23試合に登板 (うち22試合が先発登板) し、防御率3.81・8勝6敗・WHIP1.22という成績を残した。
2004年はキャンプで調子が上がらなかった為、マイナーでシーズン開幕を迎えた[7]。4月下旬にメジャーに昇格したが、指の腱を痛めており、不安定なピッチングが続いた[7]。同年は14試合に先発登板し、防御率6.01・5勝7敗・WHIP1.44という成績だった。マイナーではダーラムで8試合に先発登板したが、防御率6.75・0勝2敗・WHIP1.71という成績で、防御率やWHIPはメジャーよりも悪かった。
2005年になっても、前年に痛めた指の腱の故障が癒えなかった[8]。最終的には25試合の先発登板と4試合のリリーフ登板で、防御率5.62・5勝12敗・WHIP1.46という成績を記録。29被本塁打は2年連続チームワーストであり[8]、リーグ全体でもワースト8位だった[2]。また、マイナーでの防御率も悪化し、ダーラムでの3試合の先発登板で9.22だった。
2006年は、11試合に登板 (うち10試合が先発登板) し、防御率6.62・1勝4敗・WHIP1.62という成績を残した。防御率とWHIPは、結果的にデビルレイズ時代では自己ワーストの数字だった。マイナーでは、ダーラムで17試合に登板して防御率8.32・1勝12敗・WHIP1.94という成績だった。
2007年は、ベロビーチ・デビルレイズ (A+級) とハドソンバレーの2ランクでプレー。ベロビーチでは9試合の先発登板で防御率4.74・4勝4敗・WHIP1.33、ハドソンバレーでは4試合の先発登板で防御率1.42・2勝1敗・WHIP0.84という成績を残した。しかし、メジャーデビューした2003年以降では初めてメジャーに昇格出来ずじまいでシーズンを終えた。10月29日、デビルレイズからFAとなり、11月27日にフロリダ・マーリンズと契約した[2]。
マーリンズ時代 (2008)
2008年は2年ぶりにメジャー復帰を果たし、キャリアハイの48試合に登板して防御率3.69・4勝2敗・WHIP1.33という成績を残した。なお、この年はメジャーで初めて先発登板0だった。マイナーではAAA級、A+級、ルーキー級の3階級で計5試合に登板 (うち3試合が先発登板) し、防御率4.05・1勝0敗・WHIP1.73だった。10月1日にFAとなったウェクターは、12月11日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約した[2]。
ロイヤルズ時代 - 引退 (2009 - 2011)
2009年は、5試合のリリーフ登板で防御率8.44・WHIP2.25という成績を残した。また、マイナーではAAA級のオマハ・ロイヤルズで13試合にリリーフ登板し、防御率4.82・1勝1敗1セーブ・WHIP1.23という成績を残した。11月21日にFAとなり[2]、同年は結果的にウェクターにとってメジャー及びマイナーで試合に出場した最後のシーズンとなった。
ロイヤルズを出た後、2010年から2011年にかけては、プエルトリコのウィンターリーグであるLBPRCでプレー。インディオス・デ・マヤグエスに所属して19試合にリリーフ登板し、防御率4.63・2勝2敗2セーブ・WHIP1.41という成績を残した。