ダナ・アンドリュース
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| Dana Andrews ダナ・アンドリュース | |
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1945年 | |
| 本名 | Carver Dana Andrews |
| 生年月日 | 1909年1月1日 |
| 没年月日 | 1992年12月19日(83歳没) |
| 出生地 |
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| 死没地 |
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| ジャンル | 俳優(映画・テレビドラマ) |
| 配偶者 |
Janet Murray (1932-1935) Mary Todd (1939-1992) |
| 著名な家族 | 弟:スティーヴ・フォレスト |
| 備考 | |
| 映画俳優組合代表(1963年 - 1965年) | |

ダナ・アンドリュース(Dana Andrews,本名Carver Dana Andrews,1909年1月1日 - 1992年12月19日)は、アメリカ合衆国ミシシッピ州出身の俳優。
人生とキャリア
ヒューストンの大学でビジネスを学び、経理の仕事に就いたが歌手になるためにロサンゼルスに移る。
生活のためにさまざまな仕事に就くが、ある雇い主が彼の可能性を信じ、彼のためにオペラのクラスと、パサデナ・プレイハウスで学ぶために資金の援助をしたという。そこで演技を学び舞台に出演するようになる。その後、スカウトされハリウッド入りをする。
ロサンゼルスに着いて9年後、ウィリアム・ワイラーの『西部の男』に出演するチャンスをつかみ映画デビュー。その後、1950年代にかけてドラマ・西部劇・サスペンスと幅広く第一線で活躍した。また、1960年代の中頃からはヨーロッパ映画にも出演する様になり、ハリウッド映画界でも名脇役俳優として活躍した。テレビ映画やテレビ・シリーズへの出演も少なくなく、『将軍アイク』(1979年)ではマーシャル将軍役で出演した。
しかし、酒に溺れて映画プロデューサーからの信頼を失ったらしく、1970年代には事実上映画界を引退して不動産業で財を成した。
晩年はアルツハイマー型認知症に冒されて、2番目の妻に看取られて1992年12月19日、83歳で死去した。
ヨーロッパでの活動
1965年には『北京の55日』(1963年)や『ローマ帝国の滅亡』(1964年)等で知られるサミュエル・ブロンストン・プロ(略称:SBP)の残党が手掛けたSF映画『地球は壊滅する』に主演した。監督は『ベン・ハー』(1959年)や『クレオパトラ』(1963年)等の大作映画の第二班監督として高名なアンドリュー・マートンが務め、助監督はSBPの常連だったホセ・マリア・オチョアだった。当時のスペインでは数多くのハリウッド映画が撮影され、同年の『バルジ大作戦』にも助演した。『バルジ大作戦』に出演した俳優の多くがマカロニ・ウエスタンを始めとするイタリアやスペイン産の疑似米国映画に進出した。
アンドリュースも同様にスパイ物やジャッロ物に出演した。『コブラ』(1967年/未ソフト化)では主演を務め、イタリアや西ドイツで売れっ子だったアクション俳優のブラッド・ハリス主演の『70億の強奪作戦』(1967年)が日本でも劇場公開されている。
人気に翳りの出始めた1970年代にはスペイン領カナリア諸島で撮影されたハーフ・マカロニ・ウエスタン『ワイルドトレイル』(1975年)には往年のスターとしての敬意が払われ、ゲスト・スターとしてクレジットされた。その後は再びハリウッドを拠点に活動した。