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ダニエラ・ビアンキ

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生年月日 1942年1月31日
現年齢 83歳
瞳の色 ゴールデンブラウン
ダニエラ・ビアンキ
Daniela Bianchi
1963年
プロフィール
生年月日 1942年1月31日
現年齢 83歳
出身地 イタリア王国の旗 イタリア王国ローマ
瞳の色 ゴールデンブラウン
毛髪の色 ライトブラウン
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 170 cm / 56 kg
BMI 19.4
スリーサイズ 86 - 65 - 86 cm
カップサイズ C
活動
デビュー 1958
ジャンル ファッション
モデル内容 一般
備考 ミス・ユニバース1960準優勝
他の活動 女優
外部リンク
データベース IMDb
モデル: テンプレート - カテゴリ

ダニエラ・ビアンキ(Daniela Bianchi、1942年1月31日 - )は、イタリア女優モデルである。

女優として

1942年1月31日、ローマに生まれる[1]ラツィオ州に生まれるとする資料[2]もある。祖母は侯爵夫人、当時のイタリアではプリンセスに次ぐランクとみなされていた。父はイタリア軍大佐

幼少時より厳しく訓練された生活を送る[3]。少女時代はバレエを習う[1]。やがて官能的な女性に成長するにつれ、ファションモデルとしての活動に関心を移す[4]

1960年、ミス・ローマに選ばれ、ラツィオ州を代表してミス・ユニバース・イタリアに参加。優勝。

同年のミス・ユニバース1960ではアメリカ代表のリンダ・ビメントに次いで総合第2位となった。また、ミス・フォトジェニックも受賞[5]。1962年ミス・イタリア優勝とする資料もあるが、ミス・イタリアの公式サイトで確認は取れない[6]。ミス・ユニバース準優勝以降は国際的にモデル活動を広げる。

イタリアのテレビでロッサノ・ブラッツィと共演[4]、これがきっかけで映画のキャリアを開始。1958年、イタリア映画 『En cas de malheur』に出演。スクリーンデビュー[3]

1963年、 『007 ロシアより愛をこめて』でボンドガールに抜擢され、ハリウッドデビュー。彼女の出世作である。引き続きハリウッドでの成功をもくろむが、英語の勉強をしないことが障壁となった[3](後述)。

1968年、『The Last Chance』に出演、本格的な演技のキャリアとしては確認されている最後のものである。結婚後、家族との時間を優先するために映画産業より撤退。

2012年、ドキュメンタリー『We’re Nothing Like James Bond.』に出演。

私生活

1970年、ジェノヴァ出身の海運王Alberto Cameliと結婚。一人の男の子を設ける[7][8]

その他

007 ロシアより愛をこめて

ボンドガールのオーディションには200人以上の候補者がいたが、イタリアの雑誌に掲載された彼女の写真を見た監督のテレンス・ヤングが彼女をロンドンに召喚、決定[7]。当時21歳で、メインのボンドガールとしては当時最年少である[9]

実際のところ彼女は女優業にあまり関心がなかったという説もある。撮影中もチョコレートを食べイタリア小説を読んでマイペースに過ごした。監督に叱られても気にしないずぶとさにショーン・コネリーも好感を持ったと伝えられる[2]

撮影中、運転手の居眠り運転により交通事故が発生、彼女は顔を傷つけて撮影は2週間延期された[10]

彼女にとって本作は10年の映画キャリアの間に出演した唯一の英語フィルムである[8]。ただし彼女の本当の声は作品に残っていない。イタリアなまりの強い英語はBarbara Jeffordによって吹き替えられた[10]。イタリア語版はそれをMaria Pia Di Meoが吹き替えた[7]。彼女はかろうじて英語を話す能力しかないと言う者もいる[8]。実際、1964年のTV Guide誌のインタビューでも、LAの迷路のような道路網を理解できていないと発言している[4]

出演者の一人、アリジャ・ガー は、イスラエル代表としてミス・ユニバース1960に出場。トップ15に残る。ちなみに大会中、彼女のルームメイトだった[11][12]。また、ミス・ジャマイカの出場経験者(入賞ならず)であるマルティーヌ・ベズウィックも出演している[13]

主な出演作品

出典

外部リンク

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